東京避難
2019年06月13日
毎月第三日曜日の午後はきまってこのスイミングスクールにやってくるようになった。この日は会員の子どもなら保護者同伴で無料で入れるので、月四回のレッスンとは別にこのフリーの時間を有効に使って練習すれば少しは違うかもしれないと思って通うことにしたけれど、当の娘は練習できるということよりもプールで遊べる日が増えるというのがやはり嬉しいらしい。娘はもちろん僕もそんなに進級には熱心ではないんだけれど、ただあんまり進級できないとそのうち娘が飽きてしまうのが心配で、それに娘も進級したらしたで喜ぶし、逆になかなか進級できないと落ち込んだりもするので、あまりそういうことがないようにせめて少しずつでも進級すればいいとは思うんだけど、なかなか都合よくはいかない。
今日も結局ほとんど遊びっぱなしで一時間半が過ぎた。プールサイドに置いた荷物を持って一緒にサウナに行き、少し水気をとばしてから上の階の更衣室に行って着替える。僕は左、娘は右の更衣室。ひとり着替えは大丈夫かなと思いつつ、たぶん大丈夫だろうとあまり心配もせず始めた時からいきなり一人で着替えさせているんだけど、最初からわりと普通に出来たので、あまり心配せずひとりでやらせるのも時にはいいのかもしれないと、普段の自分の過保護を少し反省してみたりする。
とはいえ娘の着替えは僕と比べても他の子どもたちと比べでもだいぶ遅い。多少早くはなったかもしれないけど、レッスンが終わって早く着替えた子どもたちが更衣室からまず出てきて、それからどおっと集団が出てくるんだけどそこにいることはまずなくて、彼らが出て行って階段をどたどた降りていくの見送ったあとに、さあ今日はどのくらいで出てくるかなと様子を見ても十分それで間に合う。
少し静かになった三階のフロアの階段は踊り場までガラス張りで外がよく見える。片側二車線の通りは長距離バスもたくさん通って岡山駅が近いことを忘れさせない。商業高校の野球グランドの手前には全く関心がなくなった大きなオレンジ色の古野屋の看板が見えている。なにもなければさんざん食べに行っていたかもしれないし、もしかしたら娘と一緒にプールの後寄っていたかもしれない。ただもしそうなら、行っていたのはこの店ではなくたぶん五年前まで住んでいた二子玉川辺りの店かなと、最寄りの古野屋を思い出そうとしたらそれがなかなか思い出せなくて、慌てて僕はスマホで調べたりしてみた。
#東京避難
2019年06月02日
僕はお父さんのプライドにかけて娘より深く潜らないといけないと思って、そして目もしっかりと見開らいてそれをちゃんと娘が伺っているかどうかを確かめながら、不格好にあぐらをかくように水中で待ち構えた。
ゴーグルを着ければ娘はもう恐いものなしで、水面のすぐ下で体をくねらさせながらバシャバシャ水しぶきをあげなんとか顔だけは潜らせて、魚眼レンズのように玉虫色に不気味に光る眼差しをこちらに向けて威嚇するようにさえ見える挑戦的な娘のその姿は、僕には必死に僕の居所を追っかけるだけのようにも見えるのだけど、ただそれは娘の生き様みたいにも見えて、そんなのは今まであまり見たことがないような気がする。
挑戦的ではあるけれど、まだ娘は潜っても長くは続かない。すぐに顔を水面の上に出し、はしゃぐその様子を僕は水中で察しながら、再び父のプライドで今度はゆっくりと顔を出す。しかし本当は僕も必死だ。娘が知らない昔のように長く息は続かない。四十三年の年齢差がいつも歯痒い。水中から顔を出しプールの天井を仰いだところで僕があらゆる苦しみから解放されることなどないとは思うけど、それでも僕は痩せ我慢でもなんでもして全然大丈夫みたいな顔で水を両手で拭い、絶対それを悟られないように一芝居打たないわけにはいかないのだ。
#東京避難