2014年
2014年02月06日
2014年02月22日
2014年 02月 22日
おはようございます。
今週月曜日に妻は住民票を取りに行き、火曜日には原付バイクの免許の試験を受けに行き、無事合格してかえってきました。
どんなことがあっても運転免許なんて絶対取らないと、妻はずっと言っていたのにです。
そして今日土曜日に僕の実家の相模原に帰り、事情を説明することにしています。
•我が家、岡山への母子移住を決断しました。
今のところ半年の期間限定ではありますが。
実は、去年秋に岡山のお試し住宅という住宅支援の公募がありまして、その補欠にひっかかり、当選者辞退の為に我が家に入居の権利が回ってきておりました。
本来ならすぐにでも行かせたかったのですが、僕の仕事の状況が去年夏ころから芳しくなくなり、家賃の工面にも苦労するようになってしまったため、やむなく、その状況を改善することを優先することにしました。妻は引き続き週三日の夜間のヘルパー巡回のパートを続け、僕は営業活動に動きました。
苦しい状況は続いております。
しかし娘の就園時期が迫っています。
といって都内の幼稚園や保育園に通わせる気にはやはりならない。
なにしろ全く就園活動していないのだから今更でもあります。
娘を大好きな公園の滑り台で遊ばせてやりたい、幼稚園や保育園に通わせてたくさん遊んでたくさん友達作ってほしいのは、皆さんでも僕のお袋でも誰でもありません。
僕と妻です。
この思いがどんなものか、わかってほしいという弱音は吐かないなんて大人のようなことは言いません。
どれだけ辛いか、想像してほしい。
放射能は恐ろしいという客観的事実に基づいて行かせるのではありません。
放射能は恐ろしいという僕たちの主観的考えに基づいて行かせるのです。
僕らのエゴだという、311後のお袋の言葉に、僕は四十七年間で最大にして最後の絶望感をお袋に味わったのだけれど、今はその言葉をある面において受け入れられそうではあります。
しかし娘の親は僕らです。
娘の判断をヘルプしてやる役目は僕らにあります。
まだ四歳です。来週誕生日です。
妻は向こうで仕事と保育園を探します。住宅の使用可能期間は半年です。
僕はこちらで全力で今の仕事を盛り返す。そして次のステップを見つける。
そうしないと娘に毎日会えなくなるからです。
僕はさびしくて死ぬかもしれないから。
朝起きると娘の部屋着を炬燵で温め洗顔一式とオムツの用意をするのは僕の仕事です。
神棚のお供えを取り換えるのと一緒に、娘の朝食用にバナナとヨーグルトとバターとイチゴジャムを小分けにしておきます。起きてくるまでの時間が僕の時間。
やたら寝起きのいい娘の朝の鼻歌が聞こえてきたら僕は“臨戦態勢”に入る。
オムツ替え温まった部屋着着替えさせ髪の毛とかしひとつ結びする。
さっき用意した朝食を配膳していただきますする。
妻に正確なところきかないといけないけど僕は料理以外の全ての娘の世話をしています。
あっ、洗濯もしてないや。
たたむけど。
そういう生活を今しているから母子疎開では心配が二つ。
娘の世話をすべて妻がしなくていけないことと僕は寂しさで死んでしまうかもしれないことのふたつ。
それをクリアするための作戦はもちろんあるけど。
我が家は“臨戦態勢”に入りました。
辛いが面白い。苦しいが明るい。
民主主義とは、自己実現とそのための具体的手段の事を言うのだ思います。
僕は今余裕がないのでそのいちばん基本を必死でやっている。
必死に作戦を練っています。大逆転を狙っている。
勝負は勝たなくてはいけないというと誤解されそうだけれど、勝つというのはプロセスを大事にする生き方の中では貴重な材料になりうる。
だからプロセス重視でも、勝たないといけない時はある。
メリハリだな。
ちょっと脱線しました。脱線できる余裕に感謝。
去年夏に岡山に行った時現地でお世話になった方から、僕の仕事についてとても参考になる資料を送っていただきました。
今後の僕の指針になりうるようなものでとても嬉しくありがたいものでした。
半年限定の貸別荘を持ったつもりになればいいのかなと思うと気楽になります。
頻繁に行き来しようと思います。
全てが流動的。
これからの我が家の方針はこれで行こうと思っています。
何日にも分けて書いてます。たぶん話が飛んでると思います。
流動的に読んでいただければ助かります。
僕と妻は今あらゆることに必死です。
娘は天真爛漫でいてくれます。
昨夜妻は相変わらずよく理解しない僕の実家に行くために徹夜で一泊のための娘の食事含めた準備をしました。まだ寝てます。
当たり前です。
今度の話をしに行きます。そして娘の誕生日パーティーの為です。
これも戦いです。
応援してください。
家族が、親子が、夫婦が、
どんなに素晴らしいものか証明してみせます。
期待してください。
励みになります。
数日に分けて書いた文章を読みなおす時間も律義さも
申し訳ありませんが今は不足しております。お許しを。
革命を足元から始めたい。
次回に続く。
2014年02月23日
おはようございます。今僕の実家から僕一人で帰ってきました。
出掛け際、娘はちょっと半べそ気味でいつもの挨拶をせずに出て行こうとする僕を見て言ってらっしゃいといいました。妻が寒いけど表に一緒に行く?と聞くと、寒いと言ってうちのなかへ入っていきました。
僕は少しホッとしました。
きのう午後帰った実家の周辺は、都内から一時間少々であるにもかかわらず、まだ相当の雪が残っていて、まだまだ娘の雪遊びができるくらいでした。娘はうながすと雪遊びすると言って表で僕と出かけたのですが、一緒になって僕の親父まで出てきます。僕の弟も、そしてお袋も出てきました。
しばらく続いたこの家族構成に、ちっちゃな女の子が加わってからほぼ丸4年になりました。
なかなかしてやれない外遊び、もしかしたら娘の為だけでなく全員のためかもしれないと思いながら、黙って僕は同じところの雪を繰り返し、職人のオヤジの使い古したスコップでたださしていました。
娘とオヤジの雪遊び、最後になるかもしれないなと。
僕はこの雪かきの最中に今回実家に帰った目的をはたします。
残って娘を見守るお袋になるべく静かに言いました。
来月から岡山に行かすから。
えっ?というお袋に、僕はゆっくり説明します。
ゴールデンウイークにはこられるようにするよ。
お袋はあんたたちが親なんだから、好きなようにすればいいよといいました。
やっていけんの?
わからないとは言えませんので、何とかやっていく、考えていると僕は答えました。
もしかしたら諦めていたかもしれない孫です。
孫が出来て、性格が豹変してしまったように連れて行くと喜ぶお袋に
僕は我慢してもらう事にしました。
きのうは娘の誕生日パーティでした。
僕の弟が、ベクレルフリーのお店で無理を言ってケーキを頼んでいました。
相変わらずおかずは気にせずおでんだったんだけど。
お袋が二人にもちゃんと言いなさいよと言ったので、オヤジと弟にも岡山行の事を忘れずいう事が出来ました。
何も言いませんでした。親がそれでいいんならとだけオヤジが言いました。
ゴメンネと、気持ちの中だけで軽く言っときました。
今妻と娘は僕の実家にまだおります。
午前中は弟とオヤジが一緒に過ごし午後はたぶん、お袋が掃除のおばちゃんをやっている体育館に遊びに行くのだと思います。
次回の予定が組めませんのでそうしてもらいます。
我が家は臨戦態勢に入りました。
何を犠牲にし、なにを守るのか、今よくわかりませんが娘の事を最優先にしたまでです。
ぼくなんかまだ恵まれている。
人にはそれぞれ思いがある。
想像していたいと思います。
次回に続く。
2014年02月28日
2014年03月01日
2014年3月1日
こんない長いメールをお袋に送ったの初めて。
Re:2014年2月28日 金曜日 午後7:39
From: "" <>アドレスブックに追加アドレスブックに追加To:
詳細ヘッダー
とりあえず月○千円で半年住める住宅が借りられることになったので、行かせるよ。俺は可能な限り通う。
テレビや新聞は酷いよ。甲状腺ガンを発症している子どもが何倍もの確率で出始めている。あと2年くらい経つとぐんと増えるかもしれない。これはね、もう実証があるんだよ。実際にそうなるかならないかでなく、恐いわけ。ましてや4つも原発が底抜けの状態で壊れたことは今までなかったこと。何が起こるかわからない。
今まで一度も起こったことがないことが起きてる。
テレビや新聞は恐ろしいよ。本当に。
小学校はこっちでもとたぶん○○(妻)は考えている。俺は、それも恐い。
三人で暮らすより東京から離した方が○○のためだと考えた。
何度も疎開させたのは、○○(娘)の花嫁道具になるかもしれないよ。福島だけでなく、これからどんな差別が起きるかわからないよ。東京育ちの女の子も差別されるかもしれない。
テレビはね、原発や放射能のことを言わないよ。天皇陛下も正月とか誕生日の度に放射能被害のことを言ってるけど、そこは流してないんだよ。
とにかく何が起こるかわからない。
俺だって別れて暮らしたくなんかないよ。当たり前。
とにかく、今は、なにからなにまで全て流動的。この3年、ずっと恐い。
2014年03月02日
2014年 03月 02日
おはようございます。近況報告です。
僕らの意向としてはこの週末に岡山への移動を予定していたのですが、受け入れてくださる方のご事情ができ、今日今現在のところ“待機中”の状態です。
それをいいことにと言っていいのか分かりませんが、この間僕はカウンターパンチを喰らいました。
【金曜日に電話がかかってきました】
お袋でした。
“ うち(実家の両親と弟)は3人みんな反対だからね。親子は一緒にいなきゃダメだよ。
(僕の娘に)かわいそうな思いさせるよ。知らないよ。いろんな人に聞いてみたけどみんなそう言うよ”
今さらなんだよ。
僕は四十八年近い時間の中で一番育った家族に落胆しました。
僕は無風の家庭で育った。実情はそうでなかったらしいけど僕には白を切り通してくれていた。
弱い僕は、そんなの全部わかってる、わかってやってる、恐いだけだから。
そう言って母親の叱咤をうずくまってかわすしかできなかった。
“ 最近夜眠れないんだよ ”
もうたくさんなのにさらにもう一つ心配事が増えた。
心配事にもう不自由はしてません。
【結果を出すことだけがその答え】
頻繁に僕は通い、保育園を見つけ、皆明るく元気に暮らすのが答え。
どうしてお袋がそんなに強く止めるのかなんて、そんなことは想像している。
だからこそ全部わかってると、返事を返したのだし。
全部忘れたい。
決めたことを坦々にこなしていたい。同じことを繰り返すだけの単調な生活。
なくすとなんでも懐かしい。
僕はそのあとお袋に長めのメールを送信した。清水の舞台から飛び降りるつもりで。
僕が一人になってからのやるべきことは単純明快。
一生懸命稼ぐのみ。
だからそこは楽。やることがはっきりしているのは楽。
そうすることが知恵。
【出発がずれてむしろ良かったこともある】
お試し住宅は入居から半年間が使用可能期間。
半年後どこかへ移動することになのだけれど、例えばギリギリ半年後に移動するとした場合、運賃の高い8月の“繁忙期”を避けることができる。
さっき気が付いた。そのほうがよかったかもねと。
前を向きたい。前へ進みたい。上を目指したい。やることははっきりしている。
こんな楽なことはない。
次回に続く。
2014年03月04日
2014年 03月 04日
岡山へ行く日が決まりました。明日出発いたします。
明けて今日という事になります。
きのうはひな祭りと前夜祭と言う格好になり、妻はピザを焼きケーキを作りました。
確定申告がまだ最後の最後、e-Taxの送信で引っかかっていて、それを片づけなければいけないことを今気づき、違う焦りを感じたまま、ちょっと書きます。
入居は二月中にと言われていたのですが受け入れてくださる先方の方のご事情もあり、このタイミングになりました。
半年ですので、めい一杯お世話になった場合には、九月に入ってからの移動という事になりまして、新幹線やその他交通機関の繁忙期を避けることが出来て、かえって良かったかもしれないという話を妻としました。
きのう僕は仕事の用事で世田谷区役所に行きました。
その際、僕は保育園の中途入園についてのことを聞きに担当窓口を訪ねました。
まったく全てが流動的ですので、半年後の事を考えて行きました。
窓口の担当の方に今の状況をすべて話をしました。
夏から開園する保育園が三つあることを知りました。
四歳五歳児は、比較的、零~二歳児よりかは入園しやすい事をまた聞きました。
手続きを一通り説明していただきました。
状況とてもよくわかります。
幸せなお子さんですねと言って頂きました。
僕は役所の窓口で危なく泣きそうになりました。
この話を役所の保育園担当の人にしたら、お子さん幸せですねと言うんだよ、そういう状況なんだよと、もう一度お袋にメールしようと思います。
時々物凄く寂しくなります。
しかしこれで5回目の別れ。娘もはっきり意識するようになってるはずです。
きのうの夜はやたらいう事を聞きませんでした。
妻はまたちょっと思いを吐き出しました。
今までとは違うと言いました。
今回は船出です。
僕と妻もそうですが、娘も船出になります。
保育園が決まれば、僕ら三人皆がそれぞれ一人の時間が増えます。
娘にも頑張ってもらいます。人生意識させる時期が少しずつ近づいてきています。
四歳ですが、世の中そんなに甘くありません。
今まで以上に思い切り抱きしめてあげることをしてあげなくてはいけません。
それも了解しているつもりです。
僕は娘とたまに会う生活になることになりました。
残念です。
しかし船出です。多少早いが船出です。
やめておきます。
定期的に僕は行こうと思います。長距離バスなら五千円で行けます。
安全運転でお願いしたい。
外遊びが楽しみです。すぐ隣にだだっ広い、名前の付いた“公園”があります。
目の前、近々の事しか目に入りません。それでいいと思っています。
娘が泣きだしました。これで辞めます。
おやすみなさい。行ってきます。
次回に続く。
2014年03月06日
2014年03月07日
2014年 03月 07日
岡山から一人で帰ってきました。
明日は朝から仕事なので手短に。
今までの疎開の時と違うのは二人がかえってくる目星がついていないこととそれを僕が比較的歓迎していること。
僕は娘をここに戻したくないと今回一番強く思っている。
だからかもしれないが、今回一番さみしくない。
妻も、もう帰りたくないと言っていた。それりゃそうだ、あれだけ神経使っていた生活から解放されたんだもの。
戻したくはない。
そのための試練はまだたくさんあるけど。
半年限定の新しい住まいはとっても素晴らしかった。
妻は生き生きした。
僕もとても気に入った。
そのせいもきっとあるのかもしれない。
帰りたくない思いが強いのは。
娘は草むらに入る時には妻にお伺いをたてる。
4歳の娘の危機管理に妻は泣いたが僕は頼もしいと思った。
僕らの生きた時代と彼女が生きる時代は残念ながら違うんだと僕は妻に言い、そして自分に言い聞かせた。
娘には強くなってもらわないといけない。
多少の我がままには目をつぶる。
彼女はきっと僕らよりたくましくなる。
そうでないと困る。
とりあえず、逃がした、そういう感じです。
この先どうなるかわかりません。
何も決めていない。
全ては流動的。
だけどそれは僕ら夫婦にも、時代にも実はあっているのではないかなと思っていたりする。
今日は、おやすみなさい。
次回に続く。