2013年

2013年03月12日

2013 03 12

 

我が家はまた、疎開モードになりました。

東京での生活も模索しつつ、葛藤した日々を前回疎開後10か月してきましたが、また、疎開を念頭に動き出します。

 

今回は前回疎開した支援先が休止中のため、新たな場所になるはずですが、まだ決まっておりません。

決めたのは、4月中旬以降、連休をはさみ前にするか後にするかという頃から6月くらいまでを目途とした時期だけ。前回同様、移住を視野に入れていますのでその先は未定です。

 

妻はパート先に長期休暇願を出しました。

おそらく進級したばかりの娘のリトミックをどうするかも考えているのだと思います。

水泳教室の事も、しばらくお休みのはず。

 

なにせ行先が決まっていないのでどうなるかわかりませんが、いずれにしても今度は前回と違い行けば同じ仲間がいて、食材なども揃っているというわけにはいかない可能性が多分にあるので、違う覚悟が必要になってきます。

 

僕はもともと移住視野なんですが、そして、娘を逃がしたい気持ちでいっぱいなのですが、それでもどうしてもこのモードになると胸が痛くなる。

僕はバカじゃないのかと、心の底から思います。

希望がかなうのに辛くなる。アホですアホ。

 

きのうの夜、“きっと娘も言えばわかる年になったはずだから”と、お風呂で今後の予定を説明しました。

君はまたお母さんとまた行くよと。

お父さんはとりあえず、バイバイだからねと。

分かった人?と聞くとハーイと返事をする娘はゆっくり小さく返事をしました。

一年前の疎開先での別れで娘は号泣したので、言っといたほうがいいなと、彼女にも言うのが当然だと思って、言いました。

 

僕は前向きのはずです。

 

仕事の作戦も練らねばならない。

疎開先の場所選びも含めて、今度はより以上に現実路線で行かないといけない。

もっと近いほうがいいかなとか。

現地に仲間がいない分、僕も心配ですので。やることがあります。

今日はとりあえずご報告まで。

 

次回に続く。



kaigo_taxi at 11:36コメント(0)

2013年05月08日

2013 05 08

 

おはようございます。

連休終わりましたね。

この連休に我が家は箱根に行ってきました。

いろいろな情報で、箱根は線量が低いと言うことを改めて確認したので、行ってみることにしました。

 

本来であれば、僕のイメージでは、少なくとも、南アルプスは越えたいなと思っているのですが、短期の息抜きにはなるかなと、若干の妥協も含め、地震のリスクもあえて受け入れ行ってきました。

 

とりあえず富士山噴火しなくてよかったんですけど、(笑

 

この旅には収穫がありました。

まず、①線量が低いと言うことで僕と妻の気持ちが楽になったこと。

そして、②安い宿泊費で泊まれたこと。

③その宿が自炊したいお母さんには好都合な面があったこと。

そして最後に④そこが通える距離だ。

ということでした。

 

我が家の移住・疎開に対しての考えは、

①移住者や疎開者含めた理解者が近くにいること。

②放射能対策をしているスーパーなどがあること。

であることです。

 

妻はまさにそこに苦慮しています。

移住・疎開については高いハードルが残念ながら存在します。

そしてポンポン住まいを替え仕事を替える、その日暮らしの独り身の若い小僧ではなくなり、40代も後半の、たいして手に職もない、小さい子どもを持つ自営業者となった僕にとっても正直、知らない土地への移住は簡単ではないです。

 

言い訳と、されるならそれで結構。しかし諦めたわけではないし。

昔持っていた夢を掘り返してもいるから。

 

今回の旅行で得た収穫をもとに、来年4月、娘が幼稚園に通うことになるであろうまでの間、僕は妻と娘を箱根に週末疎開させてみようと考えることにしました。

 

~2か月疎開のつもりでいた妻はパートを辞め、娘のリトミックをお休みするつもりでしたが、リトミックについては再検討することになりそうです。

 

毎週末3日ないし4日行ければ約半分、4月まで都合約5か月疎開することになります。

 

あくまでこれはとりあえずの“作戦”です。

僕は来年4月からの娘の現住所をどこに置くかという大問題を考え決めなくてはいけません。

また毎日、前方不注意にならぬよう、

気をつけながらも考えあぐねることになります。

しかし、わずかな光明は見えてきました。

そんな気がしてます。

 

遠い将来の“野望”にむけて、やっと細い紐を撚ることができるかもしれないと密かに期待をしています。

 

確かに歯がゆいかもしれないが、一番歯がゆいのは僕らなんです。

 

次回に続く。



kaigo_taxi at 11:41コメント(0)

2013年05月24日

2013年05月24日

おはようございます。
我が家は自営で預貯金もスズメの涙程度で、将来の保証も何にもなく、財産もなく、あるとすれば兄に比べて遥かにしっかりした僕の弟のスネくらいなものなのですが・・・汗。
タダほかのおうちとはっきり違うことは“まったく何の縛りもない、うちは全くの自由”という、あんまり根拠のない確信を夫婦ともども持てているということだと、僕ら勝手に思っております。
有給もありませんし、手当も昇給もありませんし、転勤願なんか出せるところがありませんし、退職金もありませんし、そして僕もあと3年で50ですし。

 

そう簡単には動けないです。

自殺行為。

 

しかしそれでも僕は逃げてやろうと思っています。

 

放射能からではありません。

放射能をまき散らしておきながら知らん顔をしているこの日本という国家に対して、お前らはノーだという意思を表すために逃げます。

背中に恐怖のある逃亡ではなく、眼前に意思がある前進です。

首都圏を離れるというのは国民である僕らの意思になると思います。

逃げるとはなにも物理的に逃げるだけが逃げるじゃない。

それは現実的ではない面もあります。

だから首都圏にいる以上はその代わりにやることがたくさんあるのかもしれない。

 

僕が去年の夏から米大使館の前に立ったのはたぶんそういう気持ちがあったからだと思います。

 

今僕は物理的に逃げることを多く考えています。

第一段階の今は逃げるではなく逃がすです。

 

去年の4月まで妻と娘は疎開を繰り返しました。

それ以降先月まで、妻は資金を集めるために夜間のパートに出て、僕は代わって娘の世話をやり、金曜日の夜は抗議に出ました。

もちろんその間、僕らは空気と食物から娘を守り続けた。

すべて完璧ではないが、出来ることはした、つもりです。

 

さて、これからどうするか。

妻は今月からパートをお休みしています。

月に数度行ければと、箱根での保養を始めました。

次の予定も決めています。

5月、6月。7月には移住相談会に行くつもりです。

そして8月はまた長崎に行ってもらおうと考えています。

以前の疎開先が支援を再開しました。

出来れば一か月くらい。

 

そうです、8月の疎開前、7月には保養キャンプ行きたいねと話をしました。

行先はほぼ決定、2年前に行った、こだまの森です。

まだ八王子をぶち抜く圏央道は出来ていませんがそれでも3~4時間で行けます。

一週間くらいいけないかなと思っておりますが。

 

秋以降、妻がパートを再開するのか、一気に移住に話が進むのか、そこはまだ未定です。

この動きは、僕は来年4月までだと考えています。

4月からは娘は幼稚園です。どこの幼稚園に行くか、今はまったくわからず、候補は東日本を除く、全世界に広がっています。

4月までに形を決めなければならない。

今の僕の一番の仕事はそれです。

 

幼稚園問題は早く解決しないとと思っています。

娘に迷惑がかかります。

また娘に怒られますので。

 

次回に続く。



kaigo_taxi at 11:43コメント(0)

2013年06月30日

2013年6月30日

 

今、保養先から一人でかえって来ました。

 自営業なんで自由がききます。

 妻と娘はもう一日向こうで過ごすことにしています。

 今回は少ししかなかった週末の仕事を仲間に頼んで、

 金曜日から行っちゃいました。

 

 僕はいくじがないので、

たった一日ですが、娘と別れるのには

準備がいります。

なるべく気持ちが大袈裟にならないように準備するんですが

 さすがに一日くらいでは、たいしたことなく終わります。

 

8月一か月間行かせる、一時疎開の予行練習にも多少はなったかもしれないです。

 

去年は移住覚悟で2か月行かせましたので、

 先がわからないまま行かせましたので、

こんなもんじゃなかった。

 

一か月でなくならないはずの焼酎が

一週間もたなかった。

 

あれに比べりゃたいしたことない、

 筈です。

 

夜の高速道路はかえって先がよく見えます。

 生れてきたとき、

 別れて暮らすことなんか、

ちっとも想定していなかったのに、

 今そのことで頭が一杯です。

 

こんなことをいつまで続けるんだろう。

 幼稚園はどうする、小学校はどうする、

 何が待っている、

 僕の頭にあるその光景は、

 一体場所はどこなんだよ・・。

 

夜の闇は、宇宙との境がわからなくなります。

 果てしなく考えは広がり、及ばず、

 第三京浜のオレンジ色の街頭は

残酷に淡々と通り過ぎて行きました。

 

静かな夜になりました。

 娘のぬいぐるみたちは暇そうです。

 

僕もとっても暇な夜です。

 

今日ホテルの廊下で見た

先へ先へ髪を振り乱して走って行く娘の姿を思い出しました。

 何処へ行っちゃうんだろう、

 何処へ行ってくれるんだろう、

 何処かへ無事に行ってくれんだろうか、

 

大丈夫だろうか。

 

大人になった娘には

多分いらぬ心配になるんでしょうが、

 

いつか分かってくれるもんなんでしょうかね。

いかに親がだらしないものかを。

 

人生を、出会いと別れとセットにして考えるのは難しいです。

なかなかそういうふうに

 ものわかりは良くなれない。

いちいち心を起伏させるしかないのですが

 それがいやなこととも思えないのが

不思議です。

 

明日夕方妻と娘を駅に迎えに行きます。

もう一日をきっている。

 

大したことじゃない。

 

おやすみなさい



kaigo_taxi at 10:54コメント(0)

2013年07月02日

2013年 07月 02日

 

おはようございます。

四月以降、週末保養を目的に三度箱根に行きました。

 

なぜ箱根かと言えば、空間線量や土壌調査で事故直後含めた極端な比較的高い数値の報告が見つけられないという理由と、東京から行き来がしやすく、時間と資金のことを考えた場合、“非常に現実的”であると判断したからにほかなりません。

箱根が絶対安全だと判断しているわけではなく、現実的判断での選択です。

 

一回目は一泊、二回目は二泊、三回目の今回は三泊しました。

三泊すれば、体感的に“一週間の半分保養できた”と感じられます。

メンタルケアとしては悪くありません。

本来であれば月に二回程度は行きたいところですが、

準備の手間を考えると、自然と間隔はあいてしまいます。

予算のことも当然あります。

しかし、この箱根の保養に関してはいい宿が見つかり、資金負担が比較的軽く済んでいます。素泊まり三千円からの宿です。

では食事は?となるところですが

今や出していただかないほうが僕らには好都合。

自前のベクレルフリー食材が用意できます。

ホテルには、決して新しく掃除が行き届いていることに関心させられる、というようなことはありませんけれど、給湯室があり、そこには電子レンジがあります。

ガス台がないことくらいは諦められます。

素泊まりと書きましたが、朝は朝食として焼き立てパンがたくさん出されます。

朝食会場に行って、僕らは毎朝パンとコーヒーをいただきます。

食事は一日二回分を考えればいいことになります。

大変失礼ですが、こういう宿のパンです。

美味しいですが、“純国産原料を使った「高級な」パンなんかではないという妻の読み”が、そこにあります。ですので、むしろ喜んで、ほぼ安心して戴いています。

 

近頃の温泉地、観光地は企業の保養所が多く撤退し、代わっていろいろアイデア勝負でその施設が様変わりしているといった場所がいくつかあるようです。

まだ探せばいい宿あるかもしれません。

今の宿も、もともとキャンプをやる僕たちからすれば、“ちゃんとした部屋があって布団で寝られて、きめ細かいサービスはないけど、建物はなんか洒落てて、とっても贅沢なキャンプ”ってな感じです。十分です。

箱根ですから散歩には不自由しません。

子どもが遊べる施設も、屋外屋内問わずあります。

優待券が切れてしまったので、

次回の課題はそれをどうするかです。

 

月に一回ないし二回保養で、娘はもちろんですが妻と僕の精神的負担が和らぎます。

三泊すれば“行った感”が出ます。

八月は妻と娘は丸一か月一時疎開をしますが、そのあとも続けたいと思っています。

これで来年三月までの生活スタイルの目途はたったと、今僕は感じられるようになっています。

当然その間、娘の幼稚園が始まる四月からの生活の準備はしなくてはいけませんが。四月からの作戦を練らねば。

 

次回に続く。



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2013年07月03日

2013年7月3日

 

今おかあさん達は様々な情報を見出しに惑わされることなく分析し、吟味し、自分の責任において判断し、実生活にいかしています。

 

お母さんたちには今、具体的で現実的な毎日の問題、一日三回の自分ではない、子供の食事の対策に追われています。

 

センセーショナルな見出しの嵐の狭間をかいくぐりながらお母さん達は頑張って子供を守っている。

 

理屈はどうでもよく、エゴだと言われても構わない。

 

自分の血や肉 を削ぎ落とされそうな恐怖に対するそれは叫びなのです。

 

どうかお母さんたちのため、よりも子供たちのために、情報の雨を降らす雷様ではなく、雨を防ぐ傘に、なってください。

 

それが僕の叫びです。



kaigo_taxi at 11:50コメント(0)

2013年07月15日

2013年7月15日

 

今何が不安かって、僕がいなくなってからの娘の事です。

 

たぶん僕は今の僕の年の娘を見ることはできませんので、

 

その頃娘は元気でいてくれるだろうか、とか

 

僕がいなくなってから、娘は病と闘う人生を送ることになりはしないか、とか

 

気が気じゃない。

 

死んでも死にきれない、わけです。

 

僕には長寿日本一を目指すか、

 

今最善を尽くすかの二つしか、手だてはありません。

 

最善とは人によって違い、

 

人は人の最善をねたみ、

 

あるいは罵倒します。

 

いずれにしても今多くの人は最善に心をかきむしられている。

 

明日をどうやって、

 

見ようかしら。

 

僕は娘に笑うという字をあげました。

 

震災前に、これからの世界を憂いてプレゼントしたんだけど、

 

まさかこんなに早く便利な道具になるとは

 

夢にも思わなかった。

 

その道具が、僕ら家族の今の最大で最強の武器。

 

この道具を使って、未来を信じるか。

 

簡単には負けないよ。なめんなよ。

 

“気の毒に”なんて、言わせねぇぞ。



kaigo_taxi at 12:02コメント(0)

2013年07月25日

2013年 07月 25日

 

おはようございます。

娘と妻の4回目の一時疎開の予定が決まりました。

今度の日曜日に妻と娘は保養先の長崎に出発いたします。

今回は新幹線です。

飛行機をやめたのはいらぬ被曝を避けるためと、小児運賃の回避です。

 

長崎は3度目なので要領を得ております。

妻の最も大変な仕事は居残る僕の食事の準備。

食べ物に関して言えば僕はペットとさほど変わりません。

 

娘には時々、わかっているのかいないのかわかりませんが、一応“また長崎行くよ、お母さんといっといで、お父さんは留守番しとくから”と言っています。突然ではかわいそうですし、前回散々泣かれたので。

 

一体何をやっているんだろうと、たまに突然感じることがあります。

今どこで生きているんだろうと。

 

すべて嘘であってほしい世界に生きるためにはたまに現実逃避が必要であることを人間の体はちゃんと知っているんですね。

これこそ危機管理。

 

危機管理は人間の感性に正直になれば、出来ることなのにね。

 

我が家にとって長崎は知り合いや仲間のいる行ったことのある、あくまで一時疎開の場所になりました。

 

移住を検討するための候補地からは外れました。

ほかに候補地ができました。

 

そのための準備に、娘と妻がいない一か月、僕は取り掛かるつもりです。

 

1.移住検討先の支援の方と情報のやり取り。

2.下見の予定を組む。

3.帰ってきてからの妻のパートと、週末保養の予約。

 

僕のネックは仕事です。

車を持って許認可もらっている自営ですので、廃業もしくは移転の場合、もうここには戻らない、戻れない、そのくらいの覚悟が要ります。

それでもかまわない状況がないと移れない。

そもそもいつかは東京を抜け出したいと思っていたので、その延長で考えればいいのですが、いきなり動くことが先に求められましたのでそこが辛いとこです。

 

余儀なくされて移動するより、自分の都合で東京を離れたい。

そういう状況にしないと、簡単には動けません。

そんな無責任はできない。

今は早く“動ける状況”を作らないといけない時期だと考えています。

 

動くのは僕らの意志にしないといけない。

やむを得ず逃げるにしたくない。

 

こしてこれは国への強烈な抗議のつもりでもあります。

 

ずっと僕は作戦を練って生きてきたのでこれからもそうします。

原発事故は予想はできたが実際の作戦の中では想定外だったのが、僕の誤算だった。

さすがに焦った。

でもまだなんとか地上すれすれを飛べている。

 

これからもうちのことでも書けることは書きます。

情報をできるだけ共有することがこれからの生きる術だと思っておりますので。

 

次回に続く。



kaigo_taxi at 11:52コメント(0)

2013年07月28日

2013年 07月 28日

 

今日朝の新幹線で妻と娘が一時疎開先の長崎に向かいました。

4回目の疎開です。

今頃着いて、再開を喜んでいるんだと思います。

今日から僕も「今はひとり」になりました。

 

やることがいっぱいあります。

・・勘違いしないでくださいね。

 

僕には来年からの娘の幼稚園の為、僕ら家族の生活の為の仕事が待っています。

そしてたくさんの市民運動にも参加したい。

自分のやっている運動も盛り上げたい。

いろんなアイデアが浮かんでくる。

時間が足りない感じ。

 

今回僕はいい年こいて東京駅のホームで別れの涙を出すような醜態をさらさないことには成功しました。

ギリギリでしたが。

 

今回は前回と違って帰りの目途がすでに立っていて、やることがはっきりしていて、帰ってきてからの予定も決まっていて、精神的には楽でおります。

 

この前の半分だし。

 

酒の量もそんなに増えないなきっと。

飲みながら書いてるが。

 

一か月娘の姿が見られない寂しさは封印して、一生懸命封印して過ごします。

 

やることがいっぱいある。

未来に向けての前進です。

小さいが、また僕ら家族三人は少しだけ進みます。

 

次回に続く。



kaigo_taxi at 12:03コメント(0)

2013年08月12日

2013年8月12日

 

 

今週はお盆休みモードで、時間もあるものですから、

またいつものように自分勝手で、独りよがりなことをまた書いてしまうことを

許してください。

またなぜかブログに書かずこちらに書くことを僕は選んでおります。

それもなぜだかわからず、しかしこのまま書いてしまいます。スイマセン。

 

4年前のある日です。

妻が“最近どうも様子が変なんだけど”と切り出してきました。

どうしたぁと軽く耳を傾けている僕に妻は続けました。

“どうも調子がよくない感じでついに更年期が始まったのかなと

ずっと思ってて、でもなんか様子がおかしくて、

どうしたんだろうって思ってて、生理も止まっちゃってるの。

なんか変なんだけど、ひとつ考えられることはね・・。”

 

ううん、なんだろうと、僕は知ってる病気の名前を必死で想像しながら

妻の答えを待ちました。

 

“後考えられるのは.・・、出来たってことなの。”

 

僕はきょとんとしてしまった。

 

出来た?何が?・・え、そういうこと?

 

僕はその時42。

その数年前30代も終わりに近いころに妻は新しい命を一旦は授かったんだけど、

とても悲しく残念なことになって、

僕は結果を聞きに行った病院の帰り道で泣きはらし

お袋へのダメになっちゃったよという電話で泣きべそをかき、

しかし気づけば僕ら夫婦には宝物ができていて

その宝物を海の見える鎌倉のお寺で守っていただくことにして、

それを頼りにまた夫婦二人の生活を始めようと

お寺にお預けした帰りに寄ったお蕎麦屋さんで

二人で誓ったりしたんですけど。

 

やがて40代を迎え僕らは落ち着き方を模索するようになって

二人でのんびり気楽に行きましょうかと、

僕もついに、自分は子どもを持たない人生を選べばいいんだなと

少し吹っ切れた。

 

その矢先に、その日は来たわけです。

 

僕のその時の答えは声にならない“えっ!”、だった。

 

正直に言うと、なんで今更。それが僕の気持ちでした。

 

もともと子どもを持つことにはおっかなびっくりで、

それはそうでしょ、これから先どんなにひいき目に見ても

今よりよくなるとは思えないのに、

そこにわざわざ子どもを送り出すほど

僕は残酷じゃないよと

 

自分で自分のことを決めつけていたので

 

だからこそ40を過ぎ、一度悲しい事があったから

これで迷うことなく子は諦められる、というか

僕の両親に諦めてもらことができる、

そう僕は踏んだ。

弟は独身。ゴメン、孫は諦めてくれと。

 

ところがそれがひっくり返りそうなことになったわけです。

 

僕は考えました。

 

何が一番幸せなのかと。

 

孫を楽しみにしている罪のない独りよがりを続ける親父の幸せじゃない。

自分の子どもに会ってみたいという捨てきれなかった僕の幸せでもない。

新しい命を授かった妻の幸せかもしれない。

でも一番は、

 

その子がこの世の中に生れ出てくることの幸せじゃないかと。

 

僕は慎重だから、先の世界を憂いていた。

ひょっとしたらその子は大きな地震に会うかもしれない。

戦争を経験することになるかもしれない。

 

けれどそれより不幸は

この世に生れ出ないことを僕らが決めてしまうことじゃないのか。

 

どんなことになるかわからないと

たとえ僕らが悲観している世界でも

生れ出てくることがこの子にとって一番幸せなんじゃないのかと、

 

僕は妻の言葉の後の数分で結論を出した。

“それなら病院いかないといけないよね。大事をとらないと”

 

妻はありがとうと言って答えた。

 

こんな常識無視の、世間を斜めに見るような

損ばっかりしている夫婦の元に、

そしてなんでこんな世の中に

残念ながら予想が当たってしまったこんな世の中に

娘は生れてきたのだろうと考える時

きっと何かやることがあって生まれてきたんだろうとしか思えず

そうでなきゃ、わざわざ苦労しになんか来ないよなと

僕は絶対に間違っていない答えをその度に出し続けます。

 

だからこそ

 

僕は娘を守るわけで、

守れるわけで

守れないわけがないのであります。

 

守れることはもうとっくに決まってる。

だから明るくなれる。

 

当たり前のことを当たり前じゃないように言われるのは

邪魔くさいし、時間の無駄。

 

僕らははっきり見えている目的地目指しているんだ。

横槍はいらないよ。

 

僕らは強いんだ。

娘を思う僕らと、

我が子を想うお父さん、お母さんほど

強いものはいないんだよ。

 

強きは優しさ。

いつでも優しさは勝つんだ。

 

問題なんて、なにもないよ。

 

長崎に保養に行っている娘と

facebookが好きになれず、

この文章を読むことのきっとない妻へ。

 

ありがとう。

 

スイマセン、長過ぎた。



kaigo_taxi at 13:23コメント(0)
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2014 東京→岡山→ 原発事故という我々の無責任について。 我が家のギリギリ疎開計画 https://t.co/h63Rn0E2fX
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