我が家のギリギリ疎開計画
2014年04月09日
2014年04月03日
2014年 04月 03日
笑っちゃうくらいに仕事がなくなりました。こんなこと書きたくはありませんがありとあらゆる手段使って娘守んないといけません。もうどうでも構いません。僕もそれなりの手は打っていますが間に合うかどうか。先もどうなるか全くわかりません。久々に味わう恐怖です。藁をつかむ心境です。スイマセン。自分でまいた種は自分で刈り取りますがイマイチ解せない面もあることはあります。311がなければまだマシだったと思ってます。それまでは自分なりに計算できていました。311以降計算が出来なくなっていました。何とか誤魔化してきましたがいよいよという感じです。重ねてスイマセン。目障りであれば友達解除ご遠慮なくお願いいたします。ほんとにお願いします。発散の目的で書いている部分がありますので、目障りであれば恐縮ですが解除お願い申し上げます。すいません。
次回に続く。
2014年03月07日
2014年 03月 07日
岡山から一人で帰ってきました。
明日は朝から仕事なので手短に。
今までの疎開の時と違うのは二人がかえってくる目星がついていないこととそれを僕が比較的歓迎していること。
僕は娘をここに戻したくないと今回一番強く思っている。
だからかもしれないが、今回一番さみしくない。
妻も、もう帰りたくないと言っていた。それりゃそうだ、あれだけ神経使っていた生活から解放されたんだもの。
戻したくはない。
そのための試練はまだたくさんあるけど。
半年限定の新しい住まいはとっても素晴らしかった。
妻は生き生きした。
僕もとても気に入った。
そのせいもきっとあるのかもしれない。
帰りたくない思いが強いのは。
娘は草むらに入る時には妻にお伺いをたてる。
4歳の娘の危機管理に妻は泣いたが僕は頼もしいと思った。
僕らの生きた時代と彼女が生きる時代は残念ながら違うんだと僕は妻に言い、そして自分に言い聞かせた。
娘には強くなってもらわないといけない。
多少の我がままには目をつぶる。
彼女はきっと僕らよりたくましくなる。
そうでないと困る。
とりあえず、逃がした、そういう感じです。
この先どうなるかわかりません。
何も決めていない。
全ては流動的。
だけどそれは僕ら夫婦にも、時代にも実はあっているのではないかなと思っていたりする。
今日は、おやすみなさい。
次回に続く。
2014年03月04日
2014年 03月 04日
岡山へ行く日が決まりました。明日出発いたします。
明けて今日という事になります。
きのうはひな祭りと前夜祭と言う格好になり、妻はピザを焼きケーキを作りました。
確定申告がまだ最後の最後、e-Taxの送信で引っかかっていて、それを片づけなければいけないことを今気づき、違う焦りを感じたまま、ちょっと書きます。
入居は二月中にと言われていたのですが受け入れてくださる先方の方のご事情もあり、このタイミングになりました。
半年ですので、めい一杯お世話になった場合には、九月に入ってからの移動という事になりまして、新幹線やその他交通機関の繁忙期を避けることが出来て、かえって良かったかもしれないという話を妻としました。
きのう僕は仕事の用事で世田谷区役所に行きました。
その際、僕は保育園の中途入園についてのことを聞きに担当窓口を訪ねました。
まったく全てが流動的ですので、半年後の事を考えて行きました。
窓口の担当の方に今の状況をすべて話をしました。
夏から開園する保育園が三つあることを知りました。
四歳五歳児は、比較的、零~二歳児よりかは入園しやすい事をまた聞きました。
手続きを一通り説明していただきました。
状況とてもよくわかります。
幸せなお子さんですねと言って頂きました。
僕は役所の窓口で危なく泣きそうになりました。
この話を役所の保育園担当の人にしたら、お子さん幸せですねと言うんだよ、そういう状況なんだよと、もう一度お袋にメールしようと思います。
時々物凄く寂しくなります。
しかしこれで5回目の別れ。娘もはっきり意識するようになってるはずです。
きのうの夜はやたらいう事を聞きませんでした。
妻はまたちょっと思いを吐き出しました。
今までとは違うと言いました。
今回は船出です。
僕と妻もそうですが、娘も船出になります。
保育園が決まれば、僕ら三人皆がそれぞれ一人の時間が増えます。
娘にも頑張ってもらいます。人生意識させる時期が少しずつ近づいてきています。
四歳ですが、世の中そんなに甘くありません。
今まで以上に思い切り抱きしめてあげることをしてあげなくてはいけません。
それも了解しているつもりです。
僕は娘とたまに会う生活になることになりました。
残念です。
しかし船出です。多少早いが船出です。
やめておきます。
定期的に僕は行こうと思います。長距離バスなら五千円で行けます。
安全運転でお願いしたい。
外遊びが楽しみです。すぐ隣にだだっ広い、名前の付いた“公園”があります。
目の前、近々の事しか目に入りません。それでいいと思っています。
娘が泣きだしました。これで辞めます。
おやすみなさい。行ってきます。
次回に続く。
2014年03月02日
2014年 03月 02日
おはようございます。近況報告です。
僕らの意向としてはこの週末に岡山への移動を予定していたのですが、受け入れてくださる方のご事情ができ、今日今現在のところ“待機中”の状態です。
それをいいことにと言っていいのか分かりませんが、この間僕はカウンターパンチを喰らいました。
【金曜日に電話がかかってきました】
お袋でした。
“ うち(実家の両親と弟)は3人みんな反対だからね。親子は一緒にいなきゃダメだよ。
(僕の娘に)かわいそうな思いさせるよ。知らないよ。いろんな人に聞いてみたけどみんなそう言うよ”
今さらなんだよ。
僕は四十八年近い時間の中で一番育った家族に落胆しました。
僕は無風の家庭で育った。実情はそうでなかったらしいけど僕には白を切り通してくれていた。
弱い僕は、そんなの全部わかってる、わかってやってる、恐いだけだから。
そう言って母親の叱咤をうずくまってかわすしかできなかった。
“ 最近夜眠れないんだよ ”
もうたくさんなのにさらにもう一つ心配事が増えた。
心配事にもう不自由はしてません。
【結果を出すことだけがその答え】
頻繁に僕は通い、保育園を見つけ、皆明るく元気に暮らすのが答え。
どうしてお袋がそんなに強く止めるのかなんて、そんなことは想像している。
だからこそ全部わかってると、返事を返したのだし。
全部忘れたい。
決めたことを坦々にこなしていたい。同じことを繰り返すだけの単調な生活。
なくすとなんでも懐かしい。
僕はそのあとお袋に長めのメールを送信した。清水の舞台から飛び降りるつもりで。
僕が一人になってからのやるべきことは単純明快。
一生懸命稼ぐのみ。
だからそこは楽。やることがはっきりしているのは楽。
そうすることが知恵。
【出発がずれてむしろ良かったこともある】
お試し住宅は入居から半年間が使用可能期間。
半年後どこかへ移動することになのだけれど、例えばギリギリ半年後に移動するとした場合、運賃の高い8月の“繁忙期”を避けることができる。
さっき気が付いた。そのほうがよかったかもねと。
前を向きたい。前へ進みたい。上を目指したい。やることははっきりしている。
こんな楽なことはない。
次回に続く。
2014年02月23日
おはようございます。今僕の実家から僕一人で帰ってきました。
出掛け際、娘はちょっと半べそ気味でいつもの挨拶をせずに出て行こうとする僕を見て言ってらっしゃいといいました。妻が寒いけど表に一緒に行く?と聞くと、寒いと言ってうちのなかへ入っていきました。
僕は少しホッとしました。
きのう午後帰った実家の周辺は、都内から一時間少々であるにもかかわらず、まだ相当の雪が残っていて、まだまだ娘の雪遊びができるくらいでした。娘はうながすと雪遊びすると言って表で僕と出かけたのですが、一緒になって僕の親父まで出てきます。僕の弟も、そしてお袋も出てきました。
しばらく続いたこの家族構成に、ちっちゃな女の子が加わってからほぼ丸4年になりました。
なかなかしてやれない外遊び、もしかしたら娘の為だけでなく全員のためかもしれないと思いながら、黙って僕は同じところの雪を繰り返し、職人のオヤジの使い古したスコップでたださしていました。
娘とオヤジの雪遊び、最後になるかもしれないなと。
僕はこの雪かきの最中に今回実家に帰った目的をはたします。
残って娘を見守るお袋になるべく静かに言いました。
来月から岡山に行かすから。
えっ?というお袋に、僕はゆっくり説明します。
ゴールデンウイークにはこられるようにするよ。
お袋はあんたたちが親なんだから、好きなようにすればいいよといいました。
やっていけんの?
わからないとは言えませんので、何とかやっていく、考えていると僕は答えました。
もしかしたら諦めていたかもしれない孫です。
孫が出来て、性格が豹変してしまったように連れて行くと喜ぶお袋に
僕は我慢してもらう事にしました。
きのうは娘の誕生日パーティでした。
僕の弟が、ベクレルフリーのお店で無理を言ってケーキを頼んでいました。
相変わらずおかずは気にせずおでんだったんだけど。
お袋が二人にもちゃんと言いなさいよと言ったので、オヤジと弟にも岡山行の事を忘れずいう事が出来ました。
何も言いませんでした。親がそれでいいんならとだけオヤジが言いました。
ゴメンネと、気持ちの中だけで軽く言っときました。
今妻と娘は僕の実家にまだおります。
午前中は弟とオヤジが一緒に過ごし午後はたぶん、お袋が掃除のおばちゃんをやっている体育館に遊びに行くのだと思います。
次回の予定が組めませんのでそうしてもらいます。
我が家は臨戦態勢に入りました。
何を犠牲にし、なにを守るのか、今よくわかりませんが娘の事を最優先にしたまでです。
ぼくなんかまだ恵まれている。
人にはそれぞれ思いがある。
想像していたいと思います。
次回に続く。
2014年02月22日
2014年 02月 22日
おはようございます。
今週月曜日に妻は住民票を取りに行き、火曜日には原付バイクの免許の試験を受けに行き、無事合格してかえってきました。
どんなことがあっても運転免許なんて絶対取らないと、妻はずっと言っていたのにです。
そして今日土曜日に僕の実家の相模原に帰り、事情を説明することにしています。
•我が家、岡山への母子移住を決断しました。
今のところ半年の期間限定ではありますが。
実は、去年秋に岡山のお試し住宅という住宅支援の公募がありまして、その補欠にひっかかり、当選者辞退の為に我が家に入居の権利が回ってきておりました。
本来ならすぐにでも行かせたかったのですが、僕の仕事の状況が去年夏ころから芳しくなくなり、家賃の工面にも苦労するようになってしまったため、やむなく、その状況を改善することを優先することにしました。妻は引き続き週三日の夜間のヘルパー巡回のパートを続け、僕は営業活動に動きました。
苦しい状況は続いております。
しかし娘の就園時期が迫っています。
といって都内の幼稚園や保育園に通わせる気にはやはりならない。
なにしろ全く就園活動していないのだから今更でもあります。
娘を大好きな公園の滑り台で遊ばせてやりたい、幼稚園や保育園に通わせてたくさん遊んでたくさん友達作ってほしいのは、皆さんでも僕のお袋でも誰でもありません。
僕と妻です。
この思いがどんなものか、わかってほしいという弱音は吐かないなんて大人のようなことは言いません。
どれだけ辛いか、想像してほしい。
放射能は恐ろしいという客観的事実に基づいて行かせるのではありません。
放射能は恐ろしいという僕たちの主観的考えに基づいて行かせるのです。
僕らのエゴだという、311後のお袋の言葉に、僕は四十七年間で最大にして最後の絶望感をお袋に味わったのだけれど、今はその言葉をある面において受け入れられそうではあります。
しかし娘の親は僕らです。
娘の判断をヘルプしてやる役目は僕らにあります。
まだ四歳です。来週誕生日です。
妻は向こうで仕事と保育園を探します。住宅の使用可能期間は半年です。
僕はこちらで全力で今の仕事を盛り返す。そして次のステップを見つける。
そうしないと娘に毎日会えなくなるからです。
僕はさびしくて死ぬかもしれないから。
朝起きると娘の部屋着を炬燵で温め洗顔一式とオムツの用意をするのは僕の仕事です。
神棚のお供えを取り換えるのと一緒に、娘の朝食用にバナナとヨーグルトとバターとイチゴジャムを小分けにしておきます。起きてくるまでの時間が僕の時間。
やたら寝起きのいい娘の朝の鼻歌が聞こえてきたら僕は“臨戦態勢”に入る。
オムツ替え温まった部屋着着替えさせ髪の毛とかしひとつ結びする。
さっき用意した朝食を配膳していただきますする。
妻に正確なところきかないといけないけど僕は料理以外の全ての娘の世話をしています。
あっ、洗濯もしてないや。
たたむけど。
そういう生活を今しているから母子疎開では心配が二つ。
娘の世話をすべて妻がしなくていけないことと僕は寂しさで死んでしまうかもしれないことのふたつ。
それをクリアするための作戦はもちろんあるけど。
我が家は“臨戦態勢”に入りました。
辛いが面白い。苦しいが明るい。
民主主義とは、自己実現とそのための具体的手段の事を言うのだ思います。
僕は今余裕がないのでそのいちばん基本を必死でやっている。
必死に作戦を練っています。大逆転を狙っている。
勝負は勝たなくてはいけないというと誤解されそうだけれど、勝つというのはプロセスを大事にする生き方の中では貴重な材料になりうる。
だからプロセス重視でも、勝たないといけない時はある。
メリハリだな。
ちょっと脱線しました。脱線できる余裕に感謝。
去年夏に岡山に行った時現地でお世話になった方から、僕の仕事についてとても参考になる資料を送っていただきました。
今後の僕の指針になりうるようなものでとても嬉しくありがたいものでした。
半年限定の貸別荘を持ったつもりになればいいのかなと思うと気楽になります。
頻繁に行き来しようと思います。
全てが流動的。
これからの我が家の方針はこれで行こうと思っています。
何日にも分けて書いてます。たぶん話が飛んでると思います。
流動的に読んでいただければ助かります。
僕と妻は今あらゆることに必死です。
娘は天真爛漫でいてくれます。
昨夜妻は相変わらずよく理解しない僕の実家に行くために徹夜で一泊のための娘の食事含めた準備をしました。まだ寝てます。
当たり前です。
今度の話をしに行きます。そして娘の誕生日パーティーの為です。
これも戦いです。
応援してください。
家族が、親子が、夫婦が、
どんなに素晴らしいものか証明してみせます。
期待してください。
励みになります。
数日に分けて書いた文章を読みなおす時間も律義さも
申し訳ありませんが今は不足しております。お許しを。
革命を足元から始めたい。
次回に続く。
2013年11月05日
2013年 11月 05日
きのうの夜、僕には珍しく家族会議を開きました。
議題は当然“今後の生活”についてです。
妻との意見交換を行いました。
妻の意向は来年3月までの移住。
そのための準備を進めるつもりであることを確認しました。
僕も移住視野ですが、若干の時間的タイムラグが現実的には必要だという認識で、それを妻にあらためて伝えました。
現実をきっちりこなしながら僕は先の目途を建てたいと思います。
僕の目下の視野は二年先。
五十歳を人生最後の転機にしようかなと。
今朝布団の中で考えた僕の今の仕事は四つ。
1.移住先現地での妻と娘の受け入れ探し。
どうぞいらっしゃいって言ってくれる人を図々しくも探してみようということ。
2.こちらでの援助者探し。
いいよ、一緒に行ってあげるという気前のいい人を調子に乗って探してみる。
3.今の商売の地道な営業活動。
新しく始めた介護タクシーブログの周知徹底活動含めた日々の具体的営業活動。
4.将来の僕の仕事巻き込んだ生活スタイルの模索。
目標は都合がよく、理想は高い方がいいから、そりあえずぞういうことにして今日からまたコツコツやります。
次回に続く。
2013年11月04日
2013年 11月 04日
おはようございます。
考えの整理するために、多くブログを書きます。
今日もそうです。
十一月一日に世田谷区の幼稚園の来年度入園説明会があったようですが我が家は参加しませんでした。入れる気がないからです。
一方、移住を念頭に入れている岡山の幼稚園の入園条件にはやはり住所が確定していることがありました。
偶然視野に入れた岡山市に妻の疎開仲間の方がいらっしゃって情報を入れることが出来るのですが、“放射能移住”を受け入れた経験のある幼稚園でも、やはりまず住居を決めなければ難しいことがわかりました。
考え甘かった。
その気になれば何でもできるという思い切りは今の僕には持てません。
四十七才娘三歳半の自営業。
大した技術も持たない僕に今の商売を捨てるのはリスクをどうしても感じてしまう。
思い切りがないと、それでも言われる範疇に、それでも入ってしまうのかな。
一人なら、バックパッカーとなって、どこでも行こうと思え行るんだけど。
娘に申し訳ない。
ろくに公園でも遊んだことないし自転車も乗ったことない。
車輪のついた類は電車バスと、僕の車くらい。
娘は買い物に行ってもはしゃぎ、走り回り、歌い、こんにちはと言いなさいと言えば誰にでも誰にでもくったくなく挨拶をし、けっして内向的でなく、多少勢いに負ける内弁慶的なところもあるけれど、明るく元気に、よく笑うわがままな子に育ちました。
僕と妻が機嫌が悪いと
“ねぇ、笑って”と言う。
いい名前を付けたかもしれない。
怒られても怒った妻にねぇ笑ってと言うのは困っているけど。
“一九くらいで区内の幼稚園の事考え始めてくれない?”
と妻に頼みました。
他の方法を僕は模索します。
今度二年先まで今の商売を続けるという設定をし介護タクシーブログ始めました。
何か一つくらいは確定しておきたい。そういう危機管理かもしれません。
模索します。まだ考える。手はきっとある。そう思って進みます。
途中経過。
次回に続く。
2013年10月27日
2013年 10月 27日
おはようございます。経過報告です。
締め切りギリギリに一応と思って応募してみましたが残念ながら抽選番号一個違いで抽選からもれました。↓
岡山市移住・定住用お試し住宅のご案内~あなたも伝説の岡山市で暮らしませんか~
八月の一か月間長崎に保養に行かせていたその帰路の途中、僕は、妻と娘と岡山で落ち合いました。
移住先の候補としての現地下見のためです。
その前七月だったかと思いますが都内での移住相談会にも足を運んでおりました。
全員での移住の最大のネック、僕の仕事の問題はいろいろ考えてはおりますが進展がありません。
展望はあるんですけど。
背に腹は代えられない話ですので。
慎重です。
来年4月の娘の幼稚園入園を目下の目標到達地点としております。
時間は少なくなってきましたが。
気持ちの熟成のほうは進んでおります。
やはりどうしても娘を都内の土で遊ばせる気にはなりませんので。
何とかしたいです。
正直若干切羽詰まっております。
次回に続く。