2019年09月

2019年09月30日

職場の人たちと打ち解けて居場所に馴染むことに徹しようとすると、そこから解放された時に急に虚しくなるので、これから夜のお疲れ様の宴のあとは気をつけないといけない。この週末は最悪だった。

今頃になって、当事者でいることは物凄くエネルギーのいることなんだと言うことに気づいたら、僕らの社会では「当事者」が存在することが極めて難しいという自分の言葉にあらためて合点がいったりしたのだけど、そこで僕はまたそうかと思わず膝を叩きそうになった。
つまり、当事者でなければ楽だから当事者をやめるのではなく、当事者であることが苦しいから当事者をやめるのだなと、そのことは僕には完全に当てはまるし、そしてこれまで当事者をやめていった人たちにもそれはきっと当てはまるのかもしれないと、極めて単純明解な答えに一気にたどり着いてしまったのだ。

さて僕は今当事者をやめているのだけど、果たしてこれでよいのか悪いのかさっぱり分からないし、分かろうとなんてちっとも思っていないけれど、今はっきり言えるのは、僕は僕の残り時間を一瞬に捉えたいと思っているということと、その一瞬は限りなく永遠に似ているのかもしれないと感じているということで、だから、当事者をやめようが戻ろうがそれは瞬く間の出来事であるし、その葛藤は永遠のものとしてただ残るだけなんだと、諦めでも達観でもなくひたすら永遠に溶けていたいという思いで、ただ身をそれに任せるだけに過ぎないのです。



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