2019年03月

2019年03月31日

金曜日から二泊三日で相模原の実家から両親と弟が岡山に来ていました。

今朝はまた娘はいつものように帰るおばあちゃんたちを家の外まで行って見送ることはせず、じゃあねとそっけなくお別れをしたあとはずっと家の中でゲームをしていました。母たちが帰ったあと、僕は娘にみんな帰ったよとは言わずに、さあ今日はバーベキューだよとこれからのことを言うと、お父さんはツギちゃんが帰って寂しくないの聞いてきました。僕はあまり気持ちを込めないようにして寂しいけど楽しいこと考えようよと答えて朝のホットケーキと今日のお花見の支度を始めました。娘はお袋にツギちゃん仕事やめたんだから岡山に住めばいいのにとも言っていましたが、母は困った顔をしていました。

毎回別れるために会うようで、それがいつもしんどいといえばしんどいです。母たちは新しい家を見ることを口実に今回岡山に来ましたが、僕はずっと母がこの家に来るのは最初で最後じゃないかなと思っていました。親父は今も昔とあまり変わらずチョコチョコと歩いていましたが、お袋は杖をついて歩くのがやっとと言う感じでした。

311のあとの親への孝行はギリギリなんとか出来ていると思います。昨夜の人生ゲームの最中、昔とまったく変わらないお袋の笑い声を聞きました。少し救われた気がしました。娘のおばあちゃんではなく僕の母親に久しぶりに会えた気がしました。

でもさすがにもうこれからはまた来なよとは言えないなと思っています。

そして期待をかけすぎてもいけないので、僕はお袋にまた行くよとも言いませんでした。

車で一時間の筈が飛行機で一時間になった実家です。それがとても残念です。

本当だったら頻繁に会っていたかもしれないお袋と娘に、僕は悪いことをしたなと思わなくもないのですが、僕がいなくなってからの娘を守ることができる方法を、他に思いつくことができませんでした。それが悪いことなのか、むしろいいことなのかなんていうことなど僕にわかるわけありません。

ただ、誤魔化すことなどとてもじゃないが出来なかった、そういうことです。

娘とお袋が会うのは次はいつになるかなと思います。
どうやらお袋はまた来るねと言ったそうです。僕には何も言いませんでしたが。

娘がツギちゃんのためにした飾りつけ。もう少しこのまんまにしとこうと思います。

次回に続く。


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二泊三日で相模原の実家から両親と弟が岡山に来ていました。

今朝はいつものように娘は帰るツギちゃんたちを家の外では見送らず、家の中でゲームをしていました。お袋たちが帰ったあとに、じゃあねとそっけなくお別れをした娘にツギちゃんたち帰ったよと言うまえに、さあ今日はバーベキューだよと言ったら、お父さんはツギちゃんが帰って寂しくないの聞いてきました。僕はあまり気持ちを込めずに寂しいけど楽しいこと考えようよと答えて朝のホットケーキとお花見の支度を始めました。娘はお袋にツギちゃん仕事やめたんだから岡山に住めばいいのにと言っていました。お袋は困った顔をしていました。

毎回別れるために会うようで、それがいつもしんどいといえばしんどいです。お袋たちは新しい家を見に来ましたが、お袋はきっと最初で最後じゃなたあかなと思います。親父は今も昔とあまり変わらずチョコチョコと歩いていましたが、お袋は杖をついて歩くのがやっとと言う感じでした。若いのが自慢の母でしたけれど。

 311のあと、なんとか親の孝行はギリギリ出来たのかなと思います。昨夜の人生ゲームの最中、昔とまったく変わらないお袋の笑い声を聞きました。僕は少し救われました。娘のおばあちゃんではなく僕の母親がそこにはいました。

もう、また来なよとは僕は言わないことにしています。

期待をかけすぎてもいけないのでまた行くよとも言いませんでした。

車で一時間の筈が飛行機で一時間になりました。

お袋と娘に悪いことをしたなと思わないわけはありませんが、僕がいなくなってからの娘も守ることができる方法を、他に思いつかなかった。

誤魔化すことなどとてもじゃないが出来なかった、そういうことです。

娘とお袋が会うのは次はいつになるかなと思います。

娘がツギちゃんのためにした飾りつけ。もう少しこのまんまにしときます。



2019年03月29日

3月29日 15:05

移住ではスキルの有無が問題になるか否かということは、たぶん移住を考える人、考えた人、そして実際移住した人であればきっと必ず考えたことだと思いますが、僕らの社会がスキルを特殊技能と誤訳しているような不自由さを風土的にも抱えているような気が僕はしていて、実は僕らは職業や趣味、あるいは生き方に関して今よりはるかに自由になりえるということに完全には気付いておらず、それは平時であれば気付かないまま多少の後悔程度の中に紛れてしまっていたかもしれないが、史上最悪最低の事故の最中の今ではそれは悲劇になりうることで、だからなおのこと今そういう偏見から目を覚まさないでいつ覚ますのだろうと、僕は自分のいる社会にあきれ返るようなことをしたりしなかったりする。名前のつかないような仕事は山ほどある。今の場所を捨て、新しい場所で、名前のつかないような仕事の人が名前のつかないような仕事をまた見つけられるか、そこがナンセンスな社会と決別できるかどうかの分かれ目なんじゃないかなと思う。



2019年03月11日

2019年3月11日

実にたくさんの人の人生が変わったね。変わらない人もいるみたいだけどね。同じ災害で違う痛みをたくさんの人が味わうから、それは僕らにも許容する思いが試されるってなことにもなんのかな。試す奴の顔でも拝ませてもらいたいもんだけどね、お前何様だとか言ってね。人はその思考の許容を越える出来事に出くわした時、なにをどうしたらいいんだろうね。明日を見ることはもう分かったから、その続きを聞いてみたいもんだね。午後二時を過ぎた。僕は次のお客さんの迎えのためにそろそろ一旦帰った妻とこの前生まれて初めての誕生日を迎えた娘のいる家を出る頃だ。なにも変わらない金曜日。三人家族がまだなんかくすぐったい時だった。

今年のこの時は僕は岡山の学校で玄関の額縁を替えていた。

間に合うなら、どうか逃げてくれ。

祈ろう。

2019年03月10日

明日は3月11日ということもあって、やはりいろいろなことを思い出します。なるべく考えないように、思い出さないようにしてみるかとも思うのですが、そう思ったすぐそのあとにはあの頃のことを思い返しています。考えるというより思い出すというのがこの時期です。そういえば、僕は311以降歌を聴いて平気で泣くようになりました。それまでは、歌を聴いて泣くなんてことは確か皆無だったはずです。直後は歳のせいだと誤魔化してみましたが、今思えば僕は当時四十五歳。そうするには多少無理はありました。

2011年の3月10日の夜に僕は娘に向けての日記を書いています。生まれる少し前から言葉を書き残そうと思って書き始めたノートです。感謝と未来が書いてありました。その次のページはまるまる見開き二ページ何も書かずにあいていて、その次のページに9月になってから書いています。

今年は1月末からインフルエンザになり、それ以降今に至るまで体調が戻らずにいますがなんとかもう一息で治りそうなところまで来た感じです。毎晩頂いていた焼酎は今も飲む気になりませんが、いくら食べても増えなかった体重が今日あたりから少しプラスに動くようになりました。頭痛に耐える体力消耗が減った分、体重が戻りだしたんだと思っています。年始の引っ越しの疲れも考えると、今年は満身創痍といった感じです。

この二年ほどは以前のようにいろいろな活動には参加せず、専ら心の問題と闘っています。

そして個人の権利について考えることに多くの時間を割くようになりました。

事故後八年を経て、いまだ汚染の実態について我々はそのほとんどを把握せず、可能な限りの社会的な共通認識のようなものさえ持ち得ていません。その中での科学論争はもちろん不可欠だと思いますが、僕は怖いと感じる権利について考えます。逃げる権利について考えます。チェルノブイリ法は科学的に汚染や被曝を区別することですべての当事者に共通する心の問題、僕はそれの多くは喪失感だと思うのですが、それを権利という形において保障しているのだと思っていますが、残念ながらこの国この社会にそういう考え方は一般的でありませんし、伝統的でもありません。大丈夫か大丈夫でないかを本人ではなくその発端を作った側が決めようとし、それにあまり人々が疑問を持たない社会の中で、毎日毎日僕は東京からの原発避難者として途方に暮れています。

僕は当事者ですが、あくまで原発事故の当事者でしかありません。世の中には、様々な事柄に対しての当事者が存在します。社会は、何らかの問題についての当事者たちの集まりでできているということに、自分が当事者だと認識するようになってしばらくしてからそのことに気づきました。なんとも情けないことです。僕は原発避難者として残りの人生を過ごします。そして社会のあらゆる当事者の存在を意識します。

それにはまだまだやさしさが足りないなとは思いますが。

絶望するのをやめるのは意外と簡単です。しかし絶望するのはもっと簡単です。

それが人間だから仕方ないのだと思います。

嘘を知らない娘に嘘はつけない。それが人情です。他に人間が信じられるものがあるなら教えてほしいです。

娘のいる隣の部屋で書いています。もっと書こうと思ったことがあったように思いますが、娘の工作の質問を優先しています。娘は今日は金庫をつくりました。

明日は自分の気持ちのコントロールで一日忙しくなると思います。笑い声がいつにもまして許せない日になります。しかし、許すことからすべてが始まることも一応分かってはいるつもりです。

八年です。長いのですか、短いのですか、それだけでもいいから誰かに今について教えてほしいです。

それでは明日にそろそろ備えます。


次回に続く。

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2014 東京→岡山→ 原発事故という我々の無責任について。 我が家のギリギリ疎開計画 https://t.co/h63Rn0E2fX
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