2018年08月
2018年08月27日
2018年8月27日
二階の客間の寝床に潜ると、さっきまで大騒ぎでブルゾンちえみとか初音ミクとかネタを披露して最後の夜を盛り上げた娘がツギちゃんと別れたくないとしくしくとやりだした。いつからか、大好きなツギちゃんとの別れに娘は泣くようになった。昔自分が親の田舎に帰るのが嫌いだったことを思い出す。弟があまり連れ出さなくなり、親父がパート始めたら急に弱っちゃったというツギちゃんとの別れを、きっと娘も嫌いになったんだろうなと想像してたまらない。正月会えるよと、それが当たり前なように悟られないようになるべく気持ちとは違うように言ってみる。君の感受性は正しい。けれど耐えないといけないこともある。だから今は泣きなさいと心の中で言っておく。くたびれている娘は時間を使わず寝息をたてた。腕を擦ってやる。手を握ってやる。いつかまた、全ては大丈夫なんだということを話してやらないといけない。皆が分からない、皆が知っていることをね。
またすぐ会えるさ。
2018年08月25日
2018年08月23日
2018年8月23日
僕の親父は中卒で、栃木から東京に出てきて代沢の神戸タイルで修業してからたまの手間賃稼ぎの今を加えると60年かそのくらいタイル屋一筋で、他になにかやっているのをほとんど見たことがないような親父なんですが、小さいときはよく仕事の手伝いに連れていかされて、汚ねぇセメントまみれのバンだったりトラックだったりしたうちの車でよくあっちこっちの現場に行きました。昔はタイル屋の仕事と言えば、玄関、風呂場、トイレの三ヵ所が定番で、後半は仕事の量も減りタイルもボンド貼りになっちゃいましたが、それより前は団子貼りって言って一枚一枚タイルにモルタルのってけて貼っていました。モルタルつくんのは手伝いに行けば僕の仕事で、ふねでセメントこねるなんてことはまるで僕は慣れたもんです。何十年とやってませんがやれと言われればいつでもできます。ただ当時は嫌で仕方ありませんでした。人通りの多い道路っぱたでセメントこねるあのなんとも言えない敗北感は経験しないと分かりません。で、タイル貼るときはモルタルをコテでタイルにのっけて貼るんですけど、この団子貼りだけは親父の仕事。玉タイル貼ったり紙剥がしたり目地詰めとか半端もん切ったりそういう他のことはだいたいやらされましたがこれだけはやらせてくれなかった。そのコテ、団子貼りの時に使うのは丸ゴテっつって、まーるい感じのやつなんですけどそれでバケツに入ったモルタルを親父のリズムなんでしょうねあれ、回りを引っ掻いてモルタル集め、最後にカンカンカンってコテでバケツのはし叩いて丸くモルタルを形にしてコテにのせ、それをタイルの裏にのってけて落ちないように糸で水平とってある壁にぺたっといくわけです。でコンコンとコテの持ち手の柄の反対側で叩いて、目地にコテの先っちょ刺して位置決めしていく。その時の手つきと舌を下唇の内側にくっつける表情に、僕は一瞬だけプロフェッショナルを感じたわけです。なんにもできないしうちに帰って酒飲んでるだけだし頭悪くてものも知らないしお袋と口げんかばかりしている親父であるのにです。プロフェッショナルなんて言葉使いましたがそんなカタカナの印象ではなかった。職人てなんだろうと思いますが、遠目で見てるぶんにはいいですが身近かにいられては被害被るみたいな、まして身内は最悪です。だから僕は職人なんかになろうと思わなかったし、継ぐ気も更々なくて、ただ負けるわけにはいきませんから違う事でちゃんと親父のスキルは越えてやろうとは考えました。簡単だと思っていました。たいした能力はないのに自信だけはあった僕はいろいろやってはみたのですが30くらいでしょうか、絶望したわけです、俺、あんな親父を抜けそうもないと気が付いた。僕その頃ロケのドライバーやってましたがドライバーなんかで職人抜かせないなと思った。それも間違いなんですけど。だからせめてと、その頃からプロ意識に目覚めたりしたんです。チャラい仕事だったけど。でやめちゃいけない、40まではやろうと思った。仕事をするようになってからの30年はあっという間に過ぎましたが、いまだに僕は親父に追いついていません。今さらですが僕には職人体質がいい悪いは分かりませんがついていて、そっからは出られないし出るなんて事考えなくてもいい気がしてきています。
#遺書 #原発避難
2018年08月13日
2018年8月13日
真備にいる妻の元仕事仲間のご実家から毎回お米を頂いていますが、そろそろ米櫃の中が気になり出しましたので今回はどうしようかと思い妻に聞いてもらったら、どうぞ全然大丈夫という返事が帰ってきました。本人の住まいの一階部分の別世帯は浸水したそうですが自宅は無事、近くのご実家も僅かな高台に位置していたお陰で難は逃れていますが田畑に被害がありその状況で食糧をこちらが戴くのはどうかと思うのですが、そういう返事、そして真備の米をまた買うことで何かの支援になるのであればなかなか出来ないお手伝いの足しにはなるのかなと今、考えています。
僕にとって岡山という場所は娘を原発汚染から永遠に守るためにやれることはなんでもしようと思った中で選んだ土地であり、岡山自体に災害はなくても僕の中では自身に降りかかっかた災害の中にある土地であるため、岡山で起きた悲劇をその継続の中で受け止めています。我々は施す必要も施される必要もなく、権利を侵害された者として互いを理解することがまずは大事だなと考えるのですが、311の時も今回も被災した人々のためになることを率先して実行される岡山のみなさんには頭が下がるという言い古された言葉では表せないような敬意を払うばかりです。
どこで何をしているのかさっぱり分からなくなってしまいましたが、困っている人がいたら労り、出来ることがあるなら微力を使うという僅かな生き甲斐は感じていたいと思います。今日も娘を守っています。妻は仕事に自分の愛情をかけています。
岡山のみなさんありがとう、そしてすいません。
#原発避難 #岡山
2018年08月06日
2018年8月6日
おはようございます。
僕の勤める学校では広島に関する学習が盛んで、文化祭の発表などでは研究テーマとして多く取り上げられたり、また、当時を知る当事者の方々をお呼びした講演会なども開かれています。
僕は関東の学校でしたが、やはり広島や長崎についてのテーマ学習なようなものがあり、高校の修学旅行も広島だったりして、その時やはり当事者の方のお話を伺ったりもしました。
学校の年間の予定は年度の始まる前に決められていて、例えば今年の二月には来年の三月八日の職員会議が決まっていたりします。授業時間も日毎に決められ、それをやりくりしながらこなしていくことで年間の時数を消化していきます。
ですので、先日僕は司書の先生の計らいで図書館で話をさせてもらいましたが、それは司書の先生の夏休みの企画でもちろん時数には関係ないところで開いたもので、例えばそれをイレギュラー的にどこかの枠に組んで企画するというのは、他の事情は僕には分かりませんが、年間のカリキュラムが決まっているなかでは相当手間のかかることだし、そもそも職員会議などでとっくに決まっている予定の変更ということにもなって、なかなか突発的にそのようなことは出来ないんだろうなということを、学校という現場を間近に見ながら想像したりしています。
原発事故とはなんだったのか、いや、なんなのか、ということを子どもたちだけでなく先生にも聞いてほしいという思いを、それをきっかけに移住した、いやいや、それをきっかけに逃げたという経験をした当事者の僕は強く持つのですが、なかなか簡単にはそういう機会は得られませんし、ましてや毎年毎年研究テーマとして原発事故が取り上げられるようになるには、様々なことをクリアする必要はきっとあるんだと感じます。
そう考えると、広島や長崎の方々も当時、自分たちの経験をなんとか多くの人、多くの子どもたちに伝えたいという思いがあるにもかかわらずなかなかそういう機会がなかった時期があって、それを忸怩たる思いで過ごした時間があったのかもしれない、同時に、広島長崎の出来事が学校での学習テーマのひとつとなり毎年のように課題として研究され話もできるようになったことを、感無量なこととして受け止めていらっしゃるのかもしれないと、今、想像出来たりしています。
八月六日です。
毎日毎日、伝えるとはなんなのかに悪戦苦闘します。
蝉がもう鳴いています。
2018年08月01日
2018年8月1日
おはようございます。
きのうで一年間の雇用契約が切れ、また明日から再雇用で一年間用務員が出来ることになりました。
2014年の7月2日からこのお仕事をはじめ、最初の年の終わりに一ヶ月パートのかたちが入ったために以降毎年8月1日は「無職」です。なので今年はこれで三回目の無職の8月1日になります。最初一年しかできないと言われてはじめたお仕事ですが、制度が変わり幸運なことに続けさせて頂いています。
岡山に来たときは、仕事も何をしていいか分からず、住まいも娘の託児も妻の仕事も明日以降の全ての事が全く何も決まっておらず、頭の中が真っ白なままでしたが、なんとかここまで来ました。
いまだに心ここにありません。僕の目には岡山の風景がまだどうしても“なぜかいる場所”の風景として写ります。申し訳ないと思います。人は風景の中で生きていることを、もっとうまく説明できるようになりたいです。先日の豪雨で自分の風景を失われた岡山の方々がいます。なぜ辛いことが起こるのか、残念ながら僕には分かりません。どうしていいかも実はよく分かっていません。ひとりひとり懸命で、それを互いに意識しあえばよいのかなと、それくらいのことしか言えません。
今日も僕は家族を守ろうと思います。
ただそれだけです。すいません。