2017年08月
2017年08月25日
2017年8月25日 ·
お袋の寝息が聞こえる夜が何日か続いています。そろそろ1週間くらいだと思います。
きのうは僕も妻も仕事だったので、学童を休んでいる娘と二人で留守番を頼むことになりました。朝娘を呼び、ご飯がジャーにあることと海苔が食器棚の一番下の引き出しに入っていることを伝えて、いいかい、お昼はツギちゃんに海苔巻き作ってもらいなよ、ちゃんと教えてあげてやってもらいな。ツギちゃんはおばあちゃんなんだから、頼むねと言いました。娘はなんとなく分かったような程度の返事をしましたが案の定というかなんというか、どういう経緯か分かりませんが、どうも娘が自分で海苔巻きをつくったらしく、夜勤に出かける妻が写真をつけてLINEでそのことを教えてくれました。
昼めしもそうだったのですが、今日一番の心配は娘の習い事で、あらかじめ弟に、ばあさんが娘と一緒に教室まで歩けるかどうか確認したらたぶん大丈夫だろうと言うので、お袋には今日は娘の送りを頼みました。お袋には何かあったら電話をするように言っておきましたが、出かけの予定の時間を過ぎ到着するはずの時間を過ぎても電話が静かだったので、暑いなか、なんとか二人で行けたかなと少し安心した頃に着信がありました。僕は家に戻って来たよ、なんとか送ってきたよというお袋の声を想像しながらスマホを耳につけました。
「暑くてさあ、疲れちゃってさあ、塾で待ってるから」
なんだまだいるのかよ。
「なんだ、教室にいていいって先生言ってくれたの」
「いやいや下だよ。下で待ってるから。」
「下って外かい?」「そうそうだから待ってるから。」
37度。
なにしてんだよ。
気が付いたら、お袋はそれこそ縁もゆかりもない場所で炎天下、僕を待っていました。
なんでお袋は岡山のこの場所で一人ポツンと暑いなかいるんだろうと不思議になりました。
俺はなにさせてんだろうという風に。
「もう終わるから。行くから。」
「ゆっくりでいいよ。」
すぐ行くよ、なに言ってんだかな。
お袋は建物をL字で囲む煉瓦の塀にちょこんと座っていました。一応ちゃんと帽子、被ってる。
クラクションをギリギリ小さく鳴らしたらすぐに立ち上りこちらに歩いてきます。
なんだその無表情。
やれやれ。
よく冷えた車の中で僕は娘を待ち、お袋は今度は孫を待ちます。
テレビの音。
今日は暑かったよ、今日は特別暑かったよと、僕は今日は誰でも暑かった事を強調した。
世話がやけたのは僕だったはずなんだけど。
お袋は大人なんだか子どもなんだか今はこっちがよく分からなくなりました。
うん、僕ら親子はどこに今いるんだろうかね。
なるべくなら早く知りたい。
2017年8月25日
女子生徒三人は夕方まで草刈りを頑張ってました。僕がポケットに手を入れ、これでさあ、アイスでも買っておいでよって言うのはダメなのかなあと試しに言ってみたらひとりの子が、だいじょーぶだとおもいますよーっと言って、もうひとりの子がクスクス笑ってからアイス問答が始まった。
副校長先生はなんか言ってくれなかったの?
言ってくれませんでしたぁ、
そうかあ、じゃあちょっときびしいなあ、
先生アイスお願いします、
最後はいつ食べた?
きのうです、
きのうか、きのうじゃなあ、きのうはねぇ、ちょっとダメなのよ、
何年も食べてませんとか、そういうのならもう全然OKだったんだけど、きのうじゃなあ。
あ、食べたことないんですよ、
え、食べたことないの?じゃ食べなくてもいいんじゃない。いいよいいよ食べなくて。
どんな味か食べてみたいんでお願いしまーす。
美味しいってうわさ、聞いたんだ、どっかで(笑)、
だったらコンビニなんかじゃなくいいの食べたほうがいいよ。
先生に買って貰ったアイスがいいんです、
ああ、なるほどね。
あ、教頭先生。教頭先生に聞いてごらん。
中学校は先生も生徒も忙しくて、なかなか話をするタイミングさえないんだけど、今日はなんか嬉しかった。帰り際、その子にうちに帰ったら美味しいアイス食べなと言ったらニコッと笑い顔を返してくれた。
#8月に入ってからが早かったな夏休み
2017年08月15日
2017年8月15日
あ、そうか。じゃあなたは前向きになれるんですね。僕は原発事故の時これはえらいことだなと、まさか起こらないだろうなと思っていた事がほんとに起こっちゃって途方に暮れたというか、これからいったいどうなるんだろうと、まったくうちの娘はえらい時に生まれてきたなと、テレビでもくもく煙をあげている原発をみながら空想と現実の間を絶望的にいったり来たりしてたんです。だからってうわけじゃないんだけど、とてもじゃないがいまだに前向きにはね、なかなかなれないんです。いまだに途方に暮れてると言っても、それたぶんそんなに間違いじゃないです。まあ僕は弱いからそんなふうになっちゃうんだけど、でもですね、おんなじようにあの時感じた人でも前向きになれる人はいるわけです。ま、それはそうなんですけどね。それを強いと言ってしまってはほんとはいけなくて、それはね、絶望ばっかりしていたら子どもはどうなっちゃうんですかと、とにかく守ってやりたいとただそれだけでね、強いとか弱いとかそういう問題じゃないんだけど、そういうお母さんたちの姿見るとですね、男の僕なんかはつい強いって言いそうになっちゃう。
だけどそうかあなたの前向きはそれとも違うんですね。悲観はしたかもしれないけど絶望とかそこまでしてたわけじゃないっていうかね。悲観てのはもしかしたら絶望に比べればまだどうにかしてやろうっていうかね、なんとかしないといけないみたいな気持ちがあって、いやあるんですよ、絶望にも。絶望にもあるんだけど絶望までしないけど結構悲観的になったくらいだったら比べればね、比べれば長期的にも建設的にももしかしたら楽観的にもなれんのかもしれないというか、そういう精神を崩さなくて済む。そうかもしれないな。だけど一回絶望しちゃうとね、それが簡単でなくなるんじゃないですかね。僕はたぶん絶望したと思うんですけど、だからそう簡単には前向きにはなれないっていうかですね、一瞬でも絶望感じちゃうと残っちゃうんですよね、なんかこの辺ていうか全体に。そうするとですね、これがなかなかタフさを要求されるわけです。っていうかね、残っちゃう悲観を絶望っていうのかもしれないですけどね。
ビルの4階の窓の外は晴れている。
よく晴れた空はまったく見慣れてはいるんだけどすぐそこに見慣れない山裾が視界に入ってきてしまう。
山裾を視界からはずして見慣れ慣れた風景に重ねようと無理をしたら、目と首がくたびれた。
なにをしてんのかね。
目の前に座っているのはなんとまあ偶然にも世田谷から来た人だし、隣の人は埼玉みたいで、そっちの人は茨城でこっちの人はやっぱり東京だったかな。で、窓の外は岡山。
絶望でもないし悲観もしてないけれど、今は多少途方に暮れている。っていう感じかな。
#移住者交流会
2017年08月07日
2017年8月7日
「伊福の信号」と言えば地元の人には通じるのかなと思われる市街地の大きな信号で、僕はいつもと同じようなタイミングで右折レーンに入って信号待ちだなと思いながら右によろうとした時、前を行く黒い車種はわかんないけど三菱は三菱に間違いない車が走っていて、見たら倉敷ナンバーだったので、行く方向といい時間帯といい、こういう時の感は僕はよく当たるんだけどもしかしたら先生かなと思って右折レーンにゆっくり停まろうとしながら入っていって、直線レーンにいるその車の運転席を恐る恐る覗き込もうとしたら一瞬向こうもこちらを気にしたような気配があったので、これは絶体だなと思って完全に停止した僕は今度は少し自信をもって覗いたらやっぱり前任校で一緒だった新婚の、いやもうそうでもないお父さんが僕と同い年の先生だった。
「おはようございます」となんだかよくわかんないけどいつもニヤケ顔で挨拶する先生はやっぱり今日も同じで、なんだそのニヤケ顔はといつものように思ったんだけど、いつもと同じなのがちょっとほっとして懐かしい感じで、そのまんま僕は「もしかしてそうかなあと思ったんです。」と勘の鋭い感じでする挨拶で僕をまた少し懐かしんでもらおうかなとちょっと自信ありげにお返しした。
「え、そうすっか。」
また笑う。
「お元気ですか?」
「ええ、今日メチャクチャ混んでますね。」
そうかなぁ。
「先生どちらでしたっけ。」
「高島です。」
「ああ、そうかそうか、お子さんは?お元気ですか。」
「はいお陰様でやっとつかまり立ちはじめて・・。先生学校たのしいっすか?」
「あんまり楽しくないです。」
大きめに笑う。
「先生帰ってきてくださいよ。」
僕はありがとうございますという意味で正面を向いたまま微妙な角度に気を付けて頭を下げた。
失礼しますと言って車を出した先生は直進、僕はまもう少し待って右折。
今日の右折はいつもとは違っていて楽しかった。
自慢じゃないがこういう日常が僕にもある。
まだ完全に旅行気分が抜けず、毎日走る通勤の道路がちっともマンネリしなくて、間際に迫る山もその上の真っ青な空もどこかの地方都市でしかいまだない景色の中に僕はいるのに、そんな僕に懐かしいという気持ちをもって声をかけ懐かしい気持ちにさせてくれる人がいるという事を、僕はなんですぐ忘れるのだろうと少し自戒をし、そしてほんのちょっとかすかにニヤつく。
僕の日常はまだ旅かも知れないが、まんざらでもない。
2017年08月04日
2017年8月4日
勤務する中学校での司書の先生の計らいで企画して頂いた特別講座終わりました。参加者は少なかったのですが、移住者の方の参加で司書の先生と様々なお話が出来ました。
僕の場合学校が職場という事で、チャンスさえあれば何でもお話させてもらおうと思っていますので、今後もそういうチャンスをどうやって作るかを考えていたいと思います。岡山の司書の先生の繋がりは強いそうで、これからどう連携が取れるかというのも期待したい点です。
移住者はそれぞれの生活の中でいかにその外と繋がっていけるかという事を模索しています。小さい事の積みかさねが何より大事という事を今日も痛感しました。
自分の事をお話しするというのは後味の悪いものです。しかし、311以降の僕たちの極めて個人的な経験はとても多くの意味のある情報だと思います。自分の事をお話しするというのは難しいし辛い事ですが、これは少しずつでも伝えていかないといけないのではないかなと、僕は感じています。
今あらためて思うのは、当事者として、広島や長崎の原爆体験や自身にふりかかった様々な出来事を長く言い伝えてこられている方が、いかに辛抱強く、必死に、誤解に耐え、苦しみながらも伝え続けているかという事です。
「最終的には当事者の事は当事者自身が伝えていくしかない」
という思いを様々な当事者、そして今日参加してくださった皆さんと共有できたのかなと思っています。
チャンスがあればいつでもどこでもいくらでもお話します。パワポが勿体ないです(笑)。
また少し、理解の輪は広がったと思います。
ここにこそ、やる価値はあったのだと思います。
また機会あれば。