2017年04月

2017年04月23日

2017年4月23日

こんばんは。

実は最近くたびれておりまして、それは1ヶ月近く治らない鼻声と何とも言えない虚脱感のようなものが取れなくてそれが原因のひとつかと想いますが、それよりも前からどうも笑うのにちょっと苦労していてどっちがどうなのかわかりませんがともかくぼやあっとしている感じで過ごしています。(これを書き始めたのは数日前で、実は昨日辺りからはかなり体調だけは改善しています。)

自意識の問題で、こういう事を僕はわりと平気で書いてしまうのですが、原発避難の実態を少しでも晒して僕らのような存在を風化させないというもっともらしい理由を用意しつつ、寛容な方々に甘えているのが実状です。

 こういう時はと言いますか、最近と言いますか、頭のなかを出来るだけ整理して、なるべくシンプルにしておこうという合理的と言えば聞こえがいいですが要するに余計な体力は使わないと言いますか頭の中の引き出しをなるべく簡単に事務的に明け閉めしたいという歳を重ねたが故の横着さで、自分を誤魔化しつつ乗りきろうなんて魂胆に打って出ていると言えなくもない気がいたしているのですが、少し頭を整理しようと最近考えています。

もちろん、言い訳として聞いていただく事は前提にさえなっています。僕は自分の責任においてここで言葉を並べるだけですので、それにたいしての評価について規制する立場には一ミリも立っておりません。

僕は岡山に来てからずっとしばらくはなんとか地元の皆さんのなかに入っていこうと考えていました。自分の事を知ってもらうにはまず自分が地元の皆さんの事を知らなければならない。いきなり自己主張したところでいったい誰が聞いてくれるのだ、立場を逆にすればそれが当たり前であることは誰よりもまず先に気付く事だと確信しておりました。

今はそれが少し変化をしています。

敢えて原発避難者として移住者としての立場をはっきりとさせていこうと今は考えています。理由は大きく二つ。

ひとつはいまだ苦しむ避難移住者のための空間の確保のため。抽象的ですが物理的にも精神的にも拠り所が必要な避難移住者はまだいます。そして新たに加わってもいますので、彼らのための空間を確保しなければいけないとういう思いが強まりました。

これはいい悪いではなく現象として当事者の事は当事者でないとわからない事があるからです。そして繋がるとは他者を理解しようとすることだけではなく当事者の当事者としての権利の担保もそう呼ばれて然るべきなのではないかなと思い至ったことも起因します。念のため書き添えますが、僕は当事者と認識している事以外についての理解はむしろ劣っていると主観ですがそう認識しています。

もうひとつは風化を恐れたからです。

移住した人の中には自分を移住者としていつまでもその立場を主張ばかりしているわけにはいかないと考える人もいます。それは体験として理解できます。しかしそこに僕はとんでもない不安を感じました。原発事故が自分の中で消えていく不安です。自分が原発避難移住を伝えなかったら誰が伝えるのだろうと。というか自分の責任において事故を風化させないというのは残された生きる目的の数少ないひとつであることが全く疑う余地のないほどに確定してしまっています。

原発事故をなぜ風化できますか。僕には全然分からない。

立場をはっきりとさせる事は今の僕には神様以上の救いの手です。権利の明確化でもあります。権利に疎い僕らの社会が過渡期を迎えているので余計です。そして手段の整理です。

僕は残された時間の中で最大限に娘を守り取り返しのつかない両親や家族に対しての罪の償いにもならない程度ではあるがせめてもの穴埋めをいかにするかという事を、それが他人には伏せたところにしまいつつも存在するあからさまな感情ではあることを承知しつつ、それを原動力として具体的なものに直して頭の中に箇条書きにしています。

ひとつは避難移住者の月に一度の交流の場づくり。ふたつめは原発災害を公害問題として社会的認知を確定させるための活動、みっつめは避難移住者と政治との繋がりを身近な所で確実に保つお手伝い、よっつめは避難移住者の交流と可能性を模索するグループのお手伝い、そしていつつめはまだ妄想の域にしかない避難移住者による新しいエネルギーの普及活動。

解決する問題などなにひとつとして存在しないという逆説的な言い方は真理に近いところにありそうではありますがそれではもとも子もないので、そういう独りよがりはやめたい気持ちもあって、書き足らないが書いています。

たぶん夢とか希望です。

僕が求めているのは娘が永遠に求めていける夢とか希望。それを彼女にプレゼント出来るか。
 自分が死んだあとの話なので確実にキメておきたい。

そして妻への感謝。

両親の最期の幸福感。

それを忘れることなく、僕は人生を線ではなく点で生きることにしたばかりです。

体調が少し戻り、常人に溶けていく前に書き終えてやれやれと思います。

おはようございます。



2017年04月20日

2017年4月20日

広島研修に向けた講演会をやっています。それならば福島のまさに今生きた教材はこの岡山のいたるところに存在していて、この学校にもあって、学校の年間行事計画とはなんと空気を読まない、鈍感な、ことなかれをぶっ潰せない、単調な、慣習なのだろうと一瞬脱力しますが、考えてみれば、広島の当事者の人は、この規定の枠に自分たちの経験を伝える場が出来たときに初めて自分たちの存在を認めてもらえたと、嗚咽を漏らしながら安堵したのかもしれないと、遠い原発事故の当事者のそれを少し楽観的に妄想の中に浮かばせながら想像したりする。ふたつの現実が片方は認知せず片方は絶望する。絶対に解決しない鈍感な海の激流に、ただ体を任せるだけ。
 抵抗するには、今は少しくたびれすぎている。



2017年04月05日

2017年4月5日


職場の歓送迎会。行く人来る人。僕の人生のほとんどは今生きるこの場にはありませんがこれで3回目の歓送迎会。岡山にも少し僕の人生ができています。普段ほとんど話をしない先生にお酌をされて多少多目にお酒を頂きました。ごめんなさい、いくらか酔っています。ありがたいです。#原発避難 #岡山



2017年04月03日

2017年4月3日


MLでお声かけをして、去年10月から月一回を目処に後楽園脇の河原でバーベキューをしています。きのうはお花見をかねた回になりました。震災以来使うことのなかったキャンプ道具が今は毎月大活躍です。毎回楽しく過ごせていてやって良かったと感じています。おはようございます。#原発避難 #岡山



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2014 東京→岡山→ 原発事故という我々の無責任について。 我が家のギリギリ疎開計画 https://t.co/h63Rn0E2fX
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