2016年12月
2016年12月31日
2016年 12月 31日
2016年が終わりますので書いておこうと思います。
夕方4時を過ぎそろそろ午後5時になります。娘が小学校に入り、僕は当初考えていなかった学校用務員の仕事を引き続き出来る事になり3年目を迎えられた年でした。岡山に来て丸2年と8か月を経過、年齢も区切りの50歳を迎えた年でもあります。自分なりには一年一年の区切りは相変わらずつけていたいと思っていますが、それは自分自身でわりとしっかりとできていればそれでよく、あえて仰々しくしてしまうとかえってその形に拘り満足してしまいかねないと少し警戒心も出てきましたので、今年は少しその区切りの仕方を考えていたりしています。
1月です。
1月の気分は焦り。市の臨時職員として小学校で用務員をしていましたが、7月までで契約が切れる。年が明けていよいよお尻に火がついた。次の仕事探しというモードに入ったのだったと思います。1年半ぶりに職探しモードの突入、しかけたのが確か1月。
初旬に娘連れて相模原に帰郷。
2月です。
どうやら7月以降も用務員が出来そうだよと教えられ、少なくとも今の小学校は3月までかもという事で、惜別の思いと仕事についてのちょっとの安堵がまじりあったそんな感じ。いよいよ娘小学校で学童の説明会やらで娘の春も近づいてきた。毎日通う保育園への道が名残惜しい。
3月です。
野党共闘で頑張ってきた仲間とは疎遠になっていた。僕は乱暴で先走るのが自分でも反省材料になるのだけど。7月の参議院選挙まであとたった4ヶ月。
1年9か月の小学校勤務が終わった。体育館でのお別れの会で子どもたちに挨拶をさせて頂いた。送別会では1年9か月前から決めておいたお別れの挨拶の出だし通りに話を始めた。なぜ東京から来たのか、それまでの3年間どうように暮らしていたか、どうして用務員になったか、岡山に来てこの1年9か月どのような思いでいたか、どれだけ先生たちに感謝していたか、思いのそのすべてをお話させていただいた。泣いてた先生もいた。
4月です。
孫の入学式を楽しみにお袋が来岡。5回目だったか6回目だったか。
僕の職場は小学校から中学校になった。夏で終わるはずの臨時職員契約が、その先も続けらる事になった。新しい生活が始まった。50になった。
5月です。
うん、なにしてたかな。
6月です。
7月の参院選めざし、野党共闘の活動が活発の中、僕もなんとか必死に応援しました。娘がECCに行きだした。確かとにかく選挙だったと思う。血圧計買った。
7月です。
携帯壊れて修理に出して写真以外のデータが全部とんだ。参院選。
畑始めた。最近行ってないな、汗。
丸2年の臨時職員の契約が切れて試験を受けて改めて再雇用。
娘がなんとかかんとかプールの授業で顔付けが出来た。過保護に思うが仕方ない。放射能まみれの水で遊ばせるわけにはいかなかったから。
8月です。
親父と弟が来岡。花火見に行った。
移住者交流会、集いあいのワークにこの月から参加した。
移住直後からの月一の庭瀬の集いとこの交流会の二つが毎月の日課になった。
2011年から計3回疎開に行かせていた長崎の東彼杵に行ってきた。
長崎の仲間は元気だった。やっぱり闘っていた。みな闘っている。酒飲んだ。
終りに今度はお袋が来岡。
9月です。
子ども未来の小冊子作成の協力させてもらった。
学校の廊下の壁生徒と塗って初めてこの学校で交流らしい交流があった。
10月です。
原発移住者の多い岡山に“原発避難者”である県議会議員が誕生するチャンスがやってきた。
一生懸命応援させてもらった。見事な結果。
キャンプの道具をそのまま眠らせているのももったいないので、月1で河原で移住者呼んでバーベキューする事にした。この月が一回目。意外と好評。
11月です。
“ニュースでやらない沖縄”はこの一か月で準備した。ひたすら準備。
いい会が出来た。
お袋の誕生日に娘が自転車に乗れるようになった。
12月です。
次の準備。大体できた。来年の布石。今後の人生の布石。今の所自分だけの目論見。
来年の抱負です。
ライフワークが見つかったと思ってる。毎日一日一日確実に生きるということを身に着ける一年になれば。時間との付き合い方を考える1年だったので、それを実行に移す年。
具体的に生きることにします。
家族の平和。
311から時が止まったようだった日々が少し動いている。
闘う意志はあの時から寸分変わらない。
娘を守るためだけの人生に、全く変更なし。
年明けに間に合った。
皆様、良い年を。
2016年12月30日
2016年12月27日
2016年12月27日
とうとうこの日が来てしまったという感じです。
昨夜ベッドに入っていつものように本を読んでいた娘がいきなりシクシク泣き出しました。
お父さん、人間は歳を取ると死んじゃうの?
僕は自分の子どもにこの質問をされるのが嫌だからずっと子ども、あんまり欲しくなかったんだけど、僕も改心して大人になっていくらか消化できるかなと少しは今思えるのでまだ良いのですが、でもこの世で一番イヤは質問であることは間違いない。
お父さん、人間は歳を取ると死んじゃうの?
僕は慌てた。一字一句答えを間違ってはいけないから。
え、なになにどーしたと聞き返してしまった。
お父さんもお母さんもいなくなっちゃうの?あたし独りなんてイヤだよ、あたしまだ6歳だよ、もお、やだよお。
泣きじゃくる。
さて、どの言葉からいけば良いか。
一生の不覚にしてはいけない。
大丈夫なにいってんのと出だしは最悪。
大丈夫、独りになんかならないよ。
ちょっと、お話聞いてと落ち着かす。
いいかい、よく聞いて。
順番なんだなあ。繋げるって分かる?
すっごく歳を取ったおじいさんとかおばあさんはね、いろんな楽しいこととか嬉しいこととかいろんな良かった事を経験したの、経験て分かる?うん、いろんな事したの。いっぱいいろんな事するとね、今度は自分はもういいから自分の子どもとか孫におんなじようにして欲しいと思うんだな、これが。
だから、交代して、今度は若い人にやって欲しいわけ。だから自分は天国行っちゃって交代するんだな。
でも独りになる訳じゃないよ。もしかして国語の教科書で読んだ「ずっとずっと大好きだよ」で犬が死んじゃったから、だからそう思ったの?そうかそうか、でも大丈夫じゃん、ずっとずっと大好きだよって言ってたでしょ。ずっと大好きでいられるんだよ、大丈夫、ずっとずっとだから。
ずっとずっとだから。
だからね、いなくなってもここに、(娘の胸をトントンと叩いた)みんな来るんだよ、ここにいるのずっと。ね、だから大丈夫でしょ。姿は見えないけど独りじゃないじゃん。だから大丈夫大丈夫。
頷く娘。
独りになんかならないから。一緒よ、一緒。
6歳でしょ。独りになるわけないじゃん。お父さんもお母さんもいなくならないから心配しなくていいよ。大丈夫大丈夫。
いなくならない。
お父さんはね、あなたが直ぐなんでも言ってくれるから安心なんだ。大丈夫。
心配な事、悲しい事、イヤな事、恐い事、辛い事、なんでもあったら言っていいんだよ、全部お話してあげる。全部大丈夫だから。なーんにも心配しなくていいって知らないでしょ、心配しなくていいの、全部大丈夫だから。なんでもお話してあげる。
大丈夫なの?
大丈夫だよ。
ぜーんぶ大丈夫なようになってるの。
だからなんでもお話すればいい。
いいかい。
涙を拭ってまた頷いた。
こっちおいで。
抱いてやる。宇宙が手にはいる。
本読もう、本。
僕はいつものように本を逆さに持って逆に読む。娘はなんとかいつものように逆だよと、僕に突っ込みを入れてくれた。
お父さん、人間は歳を取ると死んじゃうの?
人間は繋げる事に喜びを感じられる。そうなれる。だから全然心配はいらないんだよ。
だからね、
だから大丈夫。
お休みなさい。よい夢を。