2015年06月
2015年06月30日
2015年06月25日
2015年6月25日
保育園に迎えに行ったら水着袋とお借りした園のお昼寝布団が帰りのリュックと一緒にぶら下がっていてそうかやれやれと思って持ち帰ったら水遊びのための健康チェック表に朝登園の時丸印するのを忘れたことに気がついて水遊びできなかった娘にゴメンネと謝ってうちに着いてまず忘れないようにお手紙の通り上履き袋と手提げの準備を先にしてその後の晩飯は夜勤で今夜はいない妻がカレーをつくってくれておいていたのだけれどご飯の量が中途半端で足りなくてとりあえず娘の夕ご飯は用意し僕はきのう校長先生に頂いて茹でておいたトウモロコシをかじる事にし味噌汁つくり風呂に入れさぁこれから明日持って行かせる手鏡を買いに行かないとという時に娘のウンチが始まって片付けて空になった炊飯器の窯洗ってご飯洗って急速炊きしてそれから二人でコンビニに歩いて散歩のように手鏡買いに行ったらすっかり岡山で久々のデモの事をとんと忘れているのに気が付き悩んだ挙句二軒目のコンビニで女性用お化粧道具のパウダーとアイブローと小さい鏡のセットみたいなやつを1,143円したが仕方なく買って家に帰って名前シールつけて僕はカレーを食べたと書いているとさっき娘が二階でお父さんと呼んだので慌てて駆け上がって少し添い寝したらまた寝ましたので続き書いてます。
おはようございます。
2015年06月24日
花お好きなんですかと工事で来ている作業のおじさんに聞かれたので、この仕事やる前は花なんて全くやったことなかったですと言ったらえーと驚かれてしまいました、汗。ペチュニアは梅雨の時期の湿り気に弱いそうなのでプランターにこの前貰った藁を敷き、雨があまり当たらない場所に移動させてみました。水やりも花にかけず脇からそっと流し込むようにやってみています。ゼラニウムやロベリアあたりも弱いそうなので雨をしのげるところに移しました。
ミニヒマワリは順調で黄色く花が開きだしました。五つのプランターに分けて植えたポーチュラカは強いので、花芽から数センチのところでポキポキ何本も折って校門脇下段のへりに刺し枝してやったのですが、するとすぐに根付いて花を咲かせました。
たくさんいただいたメランポジウムの苗は校門脇、体育館脇、職員室脇のそれぞれの花壇に地植えすくすく育ち、こちらも黄色い花芽をのぞかせています。
春は種まきと苗植えに運動会。そして夏に向う今は毛虫の観察と駆除。夏は子どもたちのいない学校でペンキ塗りでもしようかと考えています。学校行事盛りだくさんの秋に向えば収穫と今度は秋植え苗がやってきてやがて冬支度。年を越せば一気に卒業式と入学式の準備です。季節を感じる事の出来る仕事。いいなと感じられるようになりました。
原発反対。脱被曝。
次回に続く。
2015年06月22日
2015年 06月 22日
この1~2か月、校庭の見回りの時には桜の木をじっくり目を凝らして見ています。夏のイラガの大量発生を防ぐためです。触れると湿疹ができ強烈なかゆみを伴うこのイラガは、この時期に頑張って駆除すればその大量発生をある程度防ぐことが出来ます。見るポイントは写真のような葉の茶色のい変色。これを見つけたら全部取りまわりの葉を見ます。そうすると、
こんな感じでまだちっちゃく一か所にまとまっているイラガが見つかります。これを葉ごと取ります。
根気よく毎日毎日毛虫の駆除をすると年を追うごとに発生する数が減っていくんだそうです。ただ1~2年サボるとまた出てくるそうで、植物とのお付き合いは時間をかけじっくりやっていくものなんだなと勉強になっています。
桜のイラガとつつじのチャドクガ。この二つが目下の憎っくき相手。今日は高枝切ばさみを持ち出しイラガの付いた葉っぱをばっさりやってきました。
次回に続く。
2015年06月15日
2015年 06月 15日
先日お知り合いに頂いた藁を学校のスイカマルチの上に敷いてみました。
ツルの位置を固定させるためには方法がいくつかあるようなのですが
藁だと孫ツルが藁に絡まって勝手に固定してくれるんだろうなと思いまして敷いてみました。
最初から藁を敷けば雨や保温や害虫対策になったのか、
昔の人は良く考えたもんだと納得しきり。
マルチの方がより万全ではありますけどね、小っちゃい孫ツルが絡むところがありませんので
別の方法で押さえなきゃいけませんのでそれじゃあなんでもやってみよう
という事でこんな具合になりました。
いろいろ勉強になります。
畑がだんだん面白くなる今日この頃です。
原発反対。脱被曝。
そしてありがとう。
次回に続く。
2015年06月14日
2015年06月12日
2015年 06月 12日
全く畑仕事なんかしたことのなかった僕が用務員を初めてそろそろ一年になります。
前年度は前任者の引き継ぎでサツマイモとかミニトマトとか世話をしていましたが
今年度は春の種植えのスタートからいろんなことをなんとかかんとかやっております。
学校の畑でスイカをつくることになりまして最初はどうなる事かと思いましたが
小さな実がなるまでに一応育っています。
ネットで育て方を調べると二言目には“化成肥料”という言葉が出てきて
果たしてどこまで信用していいもんだろうかと思いまして、
このスイカもそうなんですが他の野菜や花には今はもっぱら
長崎の疎開の仲間のお母さんに頂いたEM菌を撒いています。
パンジーとビオラとチューリップが終わった今は
去年の種でペチュニア・マリーゴールド・ヒマワリ・ヘチマ
それからアサガオ。
新しく購入した苗はサルビア・ガザニア・ロベリア・マツバボタン・ポーチュラカ。
頂いた種でコキア・ミニマリーゴールド・ベビーマラカス。
とかそんな様なものを育てています。
スイカは育てるための手間がかかるということで今毎朝スイカ畑を覗いています。
苗を植えマルチを敷いてツルが伸びて花が咲き実がなるのですが
ツルは3~4本残しあとは間引き、丸い実は一個目は摘んでしまい2個目を育てます。
昨日一個、今日一個、成長を促すための受粉をしました。
二番目にできた実の雌花が咲いたらそれと同じ日に咲いた雄花の花粉を
朝の10時くらいまでの間に押し付けるようにつけやります。
受粉後4~50日目くらいが収穫の時期だそうで、
なかなか忙しい子ども達、夏休みにも入りますしさてどうしましょうか、
担当の先生とご相談、そんな具合です。
収穫するスイカの実の所に緑色の紐で印しをしました。
受粉メモも職員室のデスク備え付けのパソコンでつくっておきました。
いい経験させてもらっています。
原発反対。脱被曝。
次回に続く。
2015年06月07日
この週末、娘の運動会を見るためにお袋が弟と共にまた岡山にやってきました。
お袋の首元はなんだかいつの間にしわしわになりつやがなくしみだらけでこぶみたいに膨らんでもいました。コンビニのおにぎりなんかもう食べ物じゃないとあれだけ言ったのに途中で買ってきた昆布の入った簡単に取れて簡単に海苔を撒けるとっても便利なおにぎりを娘の前で平気でお膳にのせて、自分用だと言いながら娘にも分けて食わせていました。
なにをしてんだろう。
聞き訳がないと思ったが聞き分けとは所詮主観的なもので押し付けられないものだという事をまた気づかされたが、それにしてもお袋は変わらない。
徹底している。
弟が心配した認知症が実は始まっているんじゃないだろうかと気になるくらいです。それも、自ら進んでボケようとしているようにさえ僕には感じた。
痛々しい。
何かについて明らかにお袋は諦めている。
昭和16年だから今年いくつだろう。
計算もいやになってきた。
あと何回来られるだろう。
そんなに来い来いとは言えなくなる。
かといってこちらから行くのもなにかと厄介だ。
お袋はあと何年生きるだろう。
5年かな、10年かな、お袋のお袋は90過ぎまで元気だったから15年の可能性もないわけじゃない。
僕に似て神経すり切らす方だからそんなには持たんだろうか。
世田谷から神奈川の実家まで早く行けるようにわざわざ第三京浜の玉川IC脇に住んだのにそのもくろみはたった数年で水の泡。
高速料金どこまで行っても1,000円にまたなってくれないかな。旅費を生活費にちゃんと入れて今度の仕事は探そう。田舎に住んで自給自足になったら行きづらいかな来づらいかな、むずかしいな。こっちに皆で来いと言えばいいなんて簡単に言うなよ。弟の人生は弟が考える。勿論言ってはみるさ。あと何年したら娘は自分の食事を管理して一人で東京へ行けるようになるだろう。それまでお袋持つかな。
RSKバラ園に行ってもバラなど全く目に入らずそんなことばかり考える。
親子とはなんと面倒くさいもんだろう。
生きるとは何て面倒くさいもんだろう。
面倒くささがいいのだけれど、痛痒い心地よさに塩を塗ったくった奴がいる。
原発反対。
次回に続く。
2015年06月03日
久しぶりに書いています。近況について書きます。
岡山へ移住後、一年間住んだお試し住宅を出て現在は岡山市北区のJR岡山駅からほど近い古い街並みの残る住宅地に一軒長屋の一世帯分をお借りしてこの3月から住んでおります。古民家風の建物は痛みが激しく、そのかわりというわけではありませんが家賃は破格で、それはこの学区でよくこの金額の物件が探せたねと感心されるほどで、お陰様で家計的には大変助かっておりまして非常にありがたく思っています。不動産屋にはお好きにお直しくださいと言われておりまして、それではと、今後は多くの方が気軽に来ていただけて、いろんな話ができ、いろんな交流が生まれるスペースを目指しながらこの家をつくっていこうと思っております。
仕事ですが、妻はお陰様で高齢者施設で社員としてバリバリ頑張っています。僕は市の臨時職員の学校の用務員として働いておりましてそろそろ一年になろうとしています。再度契約をしていただき、あと一年間は今の仕事を続けられることになるかと思います。
月日の経つのは早いものだなぁと思います。
娘ですが、引っ越しをしてからお陰様で公立の保育園に通っております。自主性を重んじる保育園で果たして娘はやれるだろうかと当初心配していましたが、何とか頑張ってくれています。お友達の名前も娘の口からたくさん出てくるようになりました。男の子の名前が多いのは少し気になりますが、汗。通園も近く便利で、毎日主に僕が送り迎えをしております。保育園の準備や毎日の食事など、まだまだですが少し慣れてまいりました。妻は仕事を頑張り僕は家事を頑張るという我が家のスタイルが少しづつ出来てきたように思います。
まだまだ多くの不安が残っておりますがなんとかやっております。不安な将来をしっかり見つめて善後策をひとつひとつクリアしていく事を我が家の生活の基本にしていく必要があると思っています。
そういう意味では娘の天真爛漫さにはおおいに助けられています。挨拶と英語の発音はうちの娘は他の子には負けません。自画自賛ですが。
あと一年間、学校で働かせていただくことになると思いますが、これはまたとないチャンスだと感じています。出来ることがあると思っています。それも含め今後一年間の「めあて」を考えています。
1.次の仕事について考える事
2.避難や移住などについて、先生方との情報共有する事
3.図書館に放射能あるいは原発に関連する本を置いてもらう事
4.移住者として地元に還元できる活動をはじめる事。
僕の今後の岡山での生活は、原発や放射能、また避難や移住について深くかかわるものにしたいと考えています。311以降大きく変化した価値観を埋めるものは数少なく、これらの事について微力を使わせていただく事以外になかなか今後の指針が見当たらないでおります。たったひとつ、はっきりとした目的が持てるという事は嬉しい事ではありますが残念なのは自ら進んでそうなったわけでもなくまた多くの被害者が今この瞬間にも存在しているという事に尽きます。これからの一年間で何をどのくらいできるかわかりませんが方向は定まっていますので悩むことなく進むことが出来ます。具体的な事柄についてこれからしばらくはこのブログでお伝えしていきたい、またできたらいいなと思っています。
以上、次回に続く。