2014年03月
2014年03月22日
2014年03月07日
2014年 03月 07日
岡山から一人で帰ってきました。
明日は朝から仕事なので手短に。
今までの疎開の時と違うのは二人がかえってくる目星がついていないこととそれを僕が比較的歓迎していること。
僕は娘をここに戻したくないと今回一番強く思っている。
だからかもしれないが、今回一番さみしくない。
妻も、もう帰りたくないと言っていた。それりゃそうだ、あれだけ神経使っていた生活から解放されたんだもの。
戻したくはない。
そのための試練はまだたくさんあるけど。
半年限定の新しい住まいはとっても素晴らしかった。
妻は生き生きした。
僕もとても気に入った。
そのせいもきっとあるのかもしれない。
帰りたくない思いが強いのは。
娘は草むらに入る時には妻にお伺いをたてる。
4歳の娘の危機管理に妻は泣いたが僕は頼もしいと思った。
僕らの生きた時代と彼女が生きる時代は残念ながら違うんだと僕は妻に言い、そして自分に言い聞かせた。
娘には強くなってもらわないといけない。
多少の我がままには目をつぶる。
彼女はきっと僕らよりたくましくなる。
そうでないと困る。
とりあえず、逃がした、そういう感じです。
この先どうなるかわかりません。
何も決めていない。
全ては流動的。
だけどそれは僕ら夫婦にも、時代にも実はあっているのではないかなと思っていたりする。
今日は、おやすみなさい。
次回に続く。
2014年03月06日
2014年03月04日
2014年 03月 04日
岡山へ行く日が決まりました。明日出発いたします。
明けて今日という事になります。
きのうはひな祭りと前夜祭と言う格好になり、妻はピザを焼きケーキを作りました。
確定申告がまだ最後の最後、e-Taxの送信で引っかかっていて、それを片づけなければいけないことを今気づき、違う焦りを感じたまま、ちょっと書きます。
入居は二月中にと言われていたのですが受け入れてくださる先方の方のご事情もあり、このタイミングになりました。
半年ですので、めい一杯お世話になった場合には、九月に入ってからの移動という事になりまして、新幹線やその他交通機関の繁忙期を避けることが出来て、かえって良かったかもしれないという話を妻としました。
きのう僕は仕事の用事で世田谷区役所に行きました。
その際、僕は保育園の中途入園についてのことを聞きに担当窓口を訪ねました。
まったく全てが流動的ですので、半年後の事を考えて行きました。
窓口の担当の方に今の状況をすべて話をしました。
夏から開園する保育園が三つあることを知りました。
四歳五歳児は、比較的、零~二歳児よりかは入園しやすい事をまた聞きました。
手続きを一通り説明していただきました。
状況とてもよくわかります。
幸せなお子さんですねと言って頂きました。
僕は役所の窓口で危なく泣きそうになりました。
この話を役所の保育園担当の人にしたら、お子さん幸せですねと言うんだよ、そういう状況なんだよと、もう一度お袋にメールしようと思います。
時々物凄く寂しくなります。
しかしこれで5回目の別れ。娘もはっきり意識するようになってるはずです。
きのうの夜はやたらいう事を聞きませんでした。
妻はまたちょっと思いを吐き出しました。
今までとは違うと言いました。
今回は船出です。
僕と妻もそうですが、娘も船出になります。
保育園が決まれば、僕ら三人皆がそれぞれ一人の時間が増えます。
娘にも頑張ってもらいます。人生意識させる時期が少しずつ近づいてきています。
四歳ですが、世の中そんなに甘くありません。
今まで以上に思い切り抱きしめてあげることをしてあげなくてはいけません。
それも了解しているつもりです。
僕は娘とたまに会う生活になることになりました。
残念です。
しかし船出です。多少早いが船出です。
やめておきます。
定期的に僕は行こうと思います。長距離バスなら五千円で行けます。
安全運転でお願いしたい。
外遊びが楽しみです。すぐ隣にだだっ広い、名前の付いた“公園”があります。
目の前、近々の事しか目に入りません。それでいいと思っています。
娘が泣きだしました。これで辞めます。
おやすみなさい。行ってきます。
次回に続く。
2014年03月02日
2014年 03月 02日
おはようございます。近況報告です。
僕らの意向としてはこの週末に岡山への移動を予定していたのですが、受け入れてくださる方のご事情ができ、今日今現在のところ“待機中”の状態です。
それをいいことにと言っていいのか分かりませんが、この間僕はカウンターパンチを喰らいました。
【金曜日に電話がかかってきました】
お袋でした。
“ うち(実家の両親と弟)は3人みんな反対だからね。親子は一緒にいなきゃダメだよ。
(僕の娘に)かわいそうな思いさせるよ。知らないよ。いろんな人に聞いてみたけどみんなそう言うよ”
今さらなんだよ。
僕は四十八年近い時間の中で一番育った家族に落胆しました。
僕は無風の家庭で育った。実情はそうでなかったらしいけど僕には白を切り通してくれていた。
弱い僕は、そんなの全部わかってる、わかってやってる、恐いだけだから。
そう言って母親の叱咤をうずくまってかわすしかできなかった。
“ 最近夜眠れないんだよ ”
もうたくさんなのにさらにもう一つ心配事が増えた。
心配事にもう不自由はしてません。
【結果を出すことだけがその答え】
頻繁に僕は通い、保育園を見つけ、皆明るく元気に暮らすのが答え。
どうしてお袋がそんなに強く止めるのかなんて、そんなことは想像している。
だからこそ全部わかってると、返事を返したのだし。
全部忘れたい。
決めたことを坦々にこなしていたい。同じことを繰り返すだけの単調な生活。
なくすとなんでも懐かしい。
僕はそのあとお袋に長めのメールを送信した。清水の舞台から飛び降りるつもりで。
僕が一人になってからのやるべきことは単純明快。
一生懸命稼ぐのみ。
だからそこは楽。やることがはっきりしているのは楽。
そうすることが知恵。
【出発がずれてむしろ良かったこともある】
お試し住宅は入居から半年間が使用可能期間。
半年後どこかへ移動することになのだけれど、例えばギリギリ半年後に移動するとした場合、運賃の高い8月の“繁忙期”を避けることができる。
さっき気が付いた。そのほうがよかったかもねと。
前を向きたい。前へ進みたい。上を目指したい。やることははっきりしている。
こんな楽なことはない。
次回に続く。
2014年03月01日
2014年3月1日
こんない長いメールをお袋に送ったの初めて。
Re:2014年2月28日 金曜日 午後7:39
From: "" <>アドレスブックに追加アドレスブックに追加To:
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とりあえず月○千円で半年住める住宅が借りられることになったので、行かせるよ。俺は可能な限り通う。
テレビや新聞は酷いよ。甲状腺ガンを発症している子どもが何倍もの確率で出始めている。あと2年くらい経つとぐんと増えるかもしれない。これはね、もう実証があるんだよ。実際にそうなるかならないかでなく、恐いわけ。ましてや4つも原発が底抜けの状態で壊れたことは今までなかったこと。何が起こるかわからない。
今まで一度も起こったことがないことが起きてる。
テレビや新聞は恐ろしいよ。本当に。
小学校はこっちでもとたぶん○○(妻)は考えている。俺は、それも恐い。
三人で暮らすより東京から離した方が○○のためだと考えた。
何度も疎開させたのは、○○(娘)の花嫁道具になるかもしれないよ。福島だけでなく、これからどんな差別が起きるかわからないよ。東京育ちの女の子も差別されるかもしれない。
テレビはね、原発や放射能のことを言わないよ。天皇陛下も正月とか誕生日の度に放射能被害のことを言ってるけど、そこは流してないんだよ。
とにかく何が起こるかわからない。
俺だって別れて暮らしたくなんかないよ。当たり前。
とにかく、今は、なにからなにまで全て流動的。この3年、ずっと恐い。