2013年07月
2013年07月28日
2013年 07月 28日
今日朝の新幹線で妻と娘が一時疎開先の長崎に向かいました。
4回目の疎開です。
今頃着いて、再開を喜んでいるんだと思います。
今日から僕も「今はひとり」になりました。
やることがいっぱいあります。
・・勘違いしないでくださいね。
僕には来年からの娘の幼稚園の為、僕ら家族の生活の為の仕事が待っています。
そしてたくさんの市民運動にも参加したい。
自分のやっている運動も盛り上げたい。
いろんなアイデアが浮かんでくる。
時間が足りない感じ。
今回僕はいい年こいて東京駅のホームで別れの涙を出すような醜態をさらさないことには成功しました。
ギリギリでしたが。
今回は前回と違って帰りの目途がすでに立っていて、やることがはっきりしていて、帰ってきてからの予定も決まっていて、精神的には楽でおります。
この前の半分だし。
酒の量もそんなに増えないなきっと。
飲みながら書いてるが。
一か月娘の姿が見られない寂しさは封印して、一生懸命封印して過ごします。
やることがいっぱいある。
未来に向けての前進です。
小さいが、また僕ら家族三人は少しだけ進みます。
次回に続く。
2013年07月25日
2013年 07月 25日
おはようございます。
娘と妻の4回目の一時疎開の予定が決まりました。
今度の日曜日に妻と娘は保養先の長崎に出発いたします。
今回は新幹線です。
飛行機をやめたのはいらぬ被曝を避けるためと、小児運賃の回避です。
長崎は3度目なので要領を得ております。
妻の最も大変な仕事は居残る僕の食事の準備。
食べ物に関して言えば僕はペットとさほど変わりません。
娘には時々、わかっているのかいないのかわかりませんが、一応“また長崎行くよ、お母さんといっといで、お父さんは留守番しとくから”と言っています。突然ではかわいそうですし、前回散々泣かれたので。
一体何をやっているんだろうと、たまに突然感じることがあります。
今どこで生きているんだろうと。
すべて嘘であってほしい世界に生きるためにはたまに現実逃避が必要であることを人間の体はちゃんと知っているんですね。
これこそ危機管理。
危機管理は人間の感性に正直になれば、出来ることなのにね。
我が家にとって長崎は知り合いや仲間のいる行ったことのある、あくまで一時疎開の場所になりました。
移住を検討するための候補地からは外れました。
ほかに候補地ができました。
そのための準備に、娘と妻がいない一か月、僕は取り掛かるつもりです。
1.移住検討先の支援の方と情報のやり取り。
2.下見の予定を組む。
3.帰ってきてからの妻のパートと、週末保養の予約。
僕のネックは仕事です。
車を持って許認可もらっている自営ですので、廃業もしくは移転の場合、もうここには戻らない、戻れない、そのくらいの覚悟が要ります。
それでもかまわない状況がないと移れない。
そもそもいつかは東京を抜け出したいと思っていたので、その延長で考えればいいのですが、いきなり動くことが先に求められましたのでそこが辛いとこです。
余儀なくされて移動するより、自分の都合で東京を離れたい。
そういう状況にしないと、簡単には動けません。
そんな無責任はできない。
今は早く“動ける状況”を作らないといけない時期だと考えています。
動くのは僕らの意志にしないといけない。
やむを得ず逃げるにしたくない。
こしてこれは国への強烈な抗議のつもりでもあります。
ずっと僕は作戦を練って生きてきたのでこれからもそうします。
原発事故は予想はできたが実際の作戦の中では想定外だったのが、僕の誤算だった。
さすがに焦った。
でもまだなんとか地上すれすれを飛べている。
これからもうちのことでも書けることは書きます。
情報をできるだけ共有することがこれからの生きる術だと思っておりますので。
次回に続く。
2013年07月15日
2013年7月15日
今何が不安かって、僕がいなくなってからの娘の事です。
たぶん僕は今の僕の年の娘を見ることはできませんので、
その頃娘は元気でいてくれるだろうか、とか
僕がいなくなってから、娘は病と闘う人生を送ることになりはしないか、とか
気が気じゃない。
死んでも死にきれない、わけです。
僕には長寿日本一を目指すか、
今最善を尽くすかの二つしか、手だてはありません。
最善とは人によって違い、
人は人の最善をねたみ、
あるいは罵倒します。
いずれにしても今多くの人は最善に心をかきむしられている。
明日をどうやって、
見ようかしら。
僕は娘に笑うという字をあげました。
震災前に、これからの世界を憂いてプレゼントしたんだけど、
まさかこんなに早く便利な道具になるとは
夢にも思わなかった。
その道具が、僕ら家族の今の最大で最強の武器。
この道具を使って、未来を信じるか。
簡単には負けないよ。なめんなよ。
“気の毒に”なんて、言わせねぇぞ。
2013年07月03日
2013年07月02日
2013年 07月 02日
おはようございます。
四月以降、週末保養を目的に三度箱根に行きました。
なぜ箱根かと言えば、空間線量や土壌調査で事故直後含めた極端な比較的高い数値の報告が見つけられないという理由と、東京から行き来がしやすく、時間と資金のことを考えた場合、“非常に現実的”であると判断したからにほかなりません。
箱根が絶対安全だと判断しているわけではなく、現実的判断での選択です。
一回目は一泊、二回目は二泊、三回目の今回は三泊しました。
三泊すれば、体感的に“一週間の半分保養できた”と感じられます。
メンタルケアとしては悪くありません。
本来であれば月に二回程度は行きたいところですが、
準備の手間を考えると、自然と間隔はあいてしまいます。
予算のことも当然あります。
しかし、この箱根の保養に関してはいい宿が見つかり、資金負担が比較的軽く済んでいます。素泊まり三千円からの宿です。
では食事は?となるところですが
今や出していただかないほうが僕らには好都合。
自前のベクレルフリー食材が用意できます。
ホテルには、決して新しく掃除が行き届いていることに関心させられる、というようなことはありませんけれど、給湯室があり、そこには電子レンジがあります。
ガス台がないことくらいは諦められます。
素泊まりと書きましたが、朝は朝食として焼き立てパンがたくさん出されます。
朝食会場に行って、僕らは毎朝パンとコーヒーをいただきます。
食事は一日二回分を考えればいいことになります。
大変失礼ですが、こういう宿のパンです。
美味しいですが、“純国産原料を使った「高級な」パンなんかではないという妻の読み”が、そこにあります。ですので、むしろ喜んで、ほぼ安心して戴いています。
近頃の温泉地、観光地は企業の保養所が多く撤退し、代わっていろいろアイデア勝負でその施設が様変わりしているといった場所がいくつかあるようです。
まだ探せばいい宿あるかもしれません。
今の宿も、もともとキャンプをやる僕たちからすれば、“ちゃんとした部屋があって布団で寝られて、きめ細かいサービスはないけど、建物はなんか洒落てて、とっても贅沢なキャンプ”ってな感じです。十分です。
箱根ですから散歩には不自由しません。
子どもが遊べる施設も、屋外屋内問わずあります。
優待券が切れてしまったので、
次回の課題はそれをどうするかです。
月に一回ないし二回保養で、娘はもちろんですが妻と僕の精神的負担が和らぎます。
三泊すれば“行った感”が出ます。
八月は妻と娘は丸一か月一時疎開をしますが、そのあとも続けたいと思っています。
これで来年三月までの生活スタイルの目途はたったと、今僕は感じられるようになっています。
当然その間、娘の幼稚園が始まる四月からの生活の準備はしなくてはいけませんが。四月からの作戦を練らねば。
次回に続く。