2019年11月06日

なるべく考え事をしないようにしようと思いながらもなお考えること

毎日は正直爽やかではなく憂鬱なままが続きます。爽やかな朝など正直ありません。なぜいまだに岡山に馴染まず明日の展望も考えることなく、きのうのことばかり考えるのかと、なるべく考え事をしないようにしようと思いながらも考えてしまいます。
結局僕は岡山に馴染めないのは実はほどほどで、自分の人生が自分の意図から完全に離れてしまったり、原発事故が起こってもさして変わらない世の中にいやけがさしたり絶望したりして理解不能に陥っているのは間違いないのですが、そういう社会的な喪失感よりむしろ僕を慢性的に滞留させあるいは抜け出そうとさせないのは、たぶん言ったようにまた親不孝をしてしまったというまったく取り返せない後悔の念だと思っています。
ほんとなら、僕はこまめに東京の世田谷から神奈川の相模原の実家に通い、飽きるほどに行き来しておやじやお袋にたった一人の孫を頻繁に会わせるつもりでした。これはおそらく最初で最後に出来る孝行だろうし、人間が年老いていくという事についてまったく手立てがなく、それがどういうことかさっぱりわからないまんまの僕には絶対必要なことでした。ところがそれができなくなってしまったわけで、ですのでそれを僕の中でどう整理すればよいのか検討もつかずにいまださっぱりわからないでいるということになります。
この事を言うと、あなたが子どものことを思い実行した原発避難は間違いじゃないと言ってくれる人もしますし、子どもの人生は子どもの人生なんだからと親のことばかりを気にかける必要などないと慰めてくれる人もいて、それはありがたいことではあるのですが僕にはほとんどそれは説得力がなく持って生まれた性分というか宇宙観というか、なかなか説明するのが苦労する次元のことに触れないと出来ない話になるのでそこでやになったりするわけです。
今は、出来ることなら全てを一瞬で忘れたいというような心境で全てを感じたくないと思う結果無表情気味ではあり、さらには全てを考えたくないから物忘れが激しい気もします。
まったく、記憶する能力が邪魔で仕方ありません。
そして生きていくための今の僕の目処は、先を読まないで、人生設計を娘が50才になる時までにし、カメラ買い、落ちないための指針を箇条書きにするといった感じです。
果してこんなことを書き残すことになんのメリットがあるのかと疑心暗鬼になります。娘に読んでほしくないことをブログ上に残すリスクは、娘の成長とともに大きくなっていきます。
いつか消さなくてはいけない文章は意外にたくさんあるかもしれません。また困り事が増えますが今は瞬時にそれを忘れようと思います。


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2014 東京→岡山→ 原発事故という我々の無責任について。 我が家のギリギリ疎開計画 https://t.co/h63Rn0E2fX
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