2018年12月31日
今年は最後に引越しというわりと大きなイベントが
2018年12月31日
今年は最後に引越しというわりと大きなイベントが待ち構えておりました。まだ箱積みのままの荷物が部屋を占領しておりますがなんとかおかげさまで先が見えてきた感じはしています。
311から私たち家族はずっと明るい未来だけを目指し、僕と妻は娘に素敵な一生をプレゼントすることだけを目的に日々を過ごしております。
2012年から数えるとこれで八回目の正月です。この八回はなにかの積み重ねなのか或いはただ回数をこなしているだけなのか正直よくわからないのですが、311からの経過とともに年を重ねることによるかもしれない心境変化が偶然に重なりあい新しい境地に僕をつれていきます。
ある方とは新たな出逢いを、またある方とは変わらずのお付き合いを、しかしある方々には大変な不義理をいたしております。思う通りに自分が動かず歯痒い思いも何度かありました。しかしこう言ってはなんですが、それをなんとかしたいとあたふたしても仕方がない気がしているので、ゆっくり時間の風にしばらくはなびいてみようと思います。
住めればそれでいいとお世話になったお試し住宅から岡山生活を始め、屋根さえあればそれでいいと探した岡山二軒目の築年数のよく分からない明らかに傾いている長屋は、住んでみたら屋根さえないほどの雨漏りで、とうとう三年十ヶ月一部屋使えずじまいにはなりましたが、実は僕らにはそれは大した問題ではなく、それは岡山に来てからの我が家がずっと逃げ続けている避難者であったことのなによりの証拠ではあるのですが、今回、決して望んだわけではないのですがよい物件に移ることになったせいか住まいに対する感じ方、そして岡山生活についての捉え方が変化したとは言いませんが選択肢が増えたような気にもなっているかなと、今自己分析中です。
僕は避難者です。移住者ではありません。
しかしこれからは当事者という言葉も使うのかもしれません。変化は風化ではないことを、ここでいちいちお断りする必要などない筈ですが、得意の自己分析とお許し頂ければ助かります。
一年ぶりのお蕎麦です。
もともと蕎麦派の僕はもっと蕎麦を食べたいのですが、大して旨いとも思っていなかったうどんは岡山にきてあれは本来のうどんではなくこちらのうどんこそほんとのうどんなんだと、蕎麦のない暮らしも既にまんざらでもなくなりました。そして今宵は年越し蕎麦兼引越し蕎麦です。
何事もない時間さえ積み重ねなんだと考えます。闘わなければならないのはやまやまです。僅かずつでも確実に生きてみたいと思います。
一年に区切りをつけることに僕は以前ほど関心はなくなりましたが、一方で区切りに関心を持ちはじめた娘の手前もあります。娘の人生の機微がやはりいとおしくて仕方ないです。
よい年に繋がる年をお迎えください。