2018年11月07日

今日、先日お貸ししていた放射線測定器

2018年11月7日

今日、先日お貸ししていた放射線測定器のエアSが帰ってきました。福島県内をまわり各所で測ってこられたそうで、大活躍でしたというお礼の言葉を頂いて、僕もお役に立てて良かったと思っています。

他の機種との測定値の比較もされたようですが概ね0.06あたりから0.12程度で数年前に比べると地表1メートルの空間線量は明らかに下がっているという印象のようです。

自治体など行政は、徹底的な除せんを施し帰還事業を促進させ、例えば大熊町ではいよいよ帰還が始まるそうで、一時帰宅を許された元々の住民の方が今まさにその準備をされているということです。大熊、飯舘、浪江、川内など、町により進み方は違うようですが、建て替えられた小学校など町の目に見える「復興」は目を見張るもののようです。

 元々の住民の方の帰りたいという思いも含め、官民あげての町全体が一致団結した復興へ向けた姿を浮かべましたが、同時にそこにある変わることのないなにかを見た思いもあります。

お話を聞きながら、僕はかつての戦争の後の、日本の復興を頭の中で重ねておりました。“もはや戦後ではない”という勇ましい言葉、高度経済成長などに象徴されるこの国の人のへこたれない精神はどこから来るのかと。

“もとに戻す”ために捨て置かれるものを僕は犠牲という言葉で書き表したいのですが、それを犠牲と捉えない我々の文化みたいなものがそこにはあり、それは世界が歴史を教訓に築いた「権利」という知恵に入り込む余地を与えていないのではないかと独特の慣習に気付いた気になりながら、絶望し、また納得も出来得たということになります。

では果たして僕自身はどう生きるか、そしてどうやって子を守るかを考えるとき、やはり腑に落ちてくるのは“逃げる”という言葉になります。それはなぜ東京から岡山に来たのかという問いに対して、“恐いから逃げた”という単純明快な答えを僕は用意出来るということですが、同時に“逃げる”という行為が果たしてこの国では権利になりうるのかあるいは同情を受ける対象の域を出ないのかの模索は続くんだろうなというのがきのうからの結論ではあります。

6時過ぎました。
 皆さんおはようございます。



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2014 東京→岡山→ 原発事故という我々の無責任について。 我が家のギリギリ疎開計画 https://t.co/h63Rn0E2fX
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