2019年02月10日

「転任のご挨拶」

 失礼します。
 本日はこのような機会をつくっていただきましてありがとうございました。私は二千十六年の四月からの三年間この中学校でお世話になりました。その間、先生方には大変お世話になりました。また多くのご指導も頂きました。先生方本当にありがとうございました。用務員として十分手の行き届かなかったこと、またご迷惑をおかけしたことは多々あったと思います。今日この場をお借りしてあらためてお詫びをさせていただければなと思っております。
 この学校で私は三年間お世話になりました。そして岡山で暮らすようになってからはこの春で丸五年になります。それまで私はずっと東京と神奈川におりまして、岡山にはそれまでご縁もゆかりもありませんで、父親は栃木、母親は鹿児島ではあるのですが、私は東京で生まれて神奈川で育ちまして、仕事もずっと東京ばかりでしたので、ですのでまさか自分が岡山に住むことになるとは実はまったく夢にも思ってもいませんでした。そして岡山の学校の先生と一緒にお仕事をするなどということも、まったく想像もしていなかったことでして、つくづく、縁とは面白いものだなと改めて今感慨深く思うところでもございます。
 用務員というお仕事も岡山に来るまではまったく考えたことがありませんで、岡山に来る直前までは私は自営で介護タクシーというのをやっておりました。そしてその前は、約二十年ずっとテレビにおりました。テレビと言ってもいろいろな仕事がございます。私は裏方の力仕事専門で、主にセットを飾ったりロケに行ったりする美術の仕事が専門でした。その時の“とりあえずあるものでなんとかする”という癖が、実は今用務員の仕事にかなり役に立っております。本当に、いつ何が役に立つかわからなと痛感したりもしております。
 であの、私がなぜ縁もゆかりもない岡山に来たかという話をほんの少しだけお話させていただけばなとちょっと思っております。そのきっかけは八年前の東日本大震災でした。もう少し分かりやすく言いますと、あの時私は東京にいたのですが、それでもあの時起きた原発事故がとっても怖くなりまして、当時一歳と一週間ほどの娘を抱えて東京にいたのですがそれが非常に不安になりました。でそれ以降、岡山に来るまでの三年間は、娘のためにできることは何でもやろうということで食事や外出も含め、その他色々な情報を入れ様々ことに気を付けて過ごしておりました。一時的な保養が大事ということで何度か妻と娘を九州に行かせたりなどもしました。母の実家の鹿児島にも行かせたりしました。でそうこうするうちに、東京で岡山の移住相談会があるということを知りまして、それまで岡山は全く頭にはなかったのですが、移住支援が充実しており、移住者も多いということでそれではと相談会に参加しまして、それが岡山との最初のご縁になりました。そのあとの二度目の相談会、そして初めての来岡、そして移住支援住宅の入居募集への応募、そしてその応募に運よく当たったりしまして、そしてそのようなご縁が重なりまして岡山に来ることを決めました。それがちょうど五年前の三月ということになります。先に妻と娘が岡山に参りました。そして一か月遅れて四月に当初来るつもりのなかった私が合流し、その後岡山市内で二度引っ越しをして、そして今に至っております。
 あの、経緯は様々なんですが、実は私のような家族、特に震災以降多くのお母さんたちが主に母子家庭として岡山にやってきています。お母さん同士での結びつきは強くて、同じ危機感を持ち、互いに情報共有をして子どもを守りたいという思い一心で今も繋がりながら岡山で暮らしているお母さんたいがたくさんおります。そしてそういういわゆる「原発移住」、といいますか「原発避難」と呼ばれる人の数が、実は西日本では岡山が突出して多くおります。その七割は福島や東北ではなく関東圏からだったりしています。震災から八年が経ちましたので、当時小さかった子の中には中学校に進学する子もいますし既に進学した子もおります。岡山に震災を機に移住した人が多いという状況については、岡山のメディアでも“岡山現象”という形で紹介もされたりもしているのですが、こういう状況があるということを先生方にはぜひ知っていただければなと思いまして、今日も本来なら送別の大事なご挨拶をせねばいけないところではあったのですが、失礼なことと思いつつお話しさせていただいてしまいました。
 用務の仕事はそれはもちろんなのですが、こういうお話をさせていただいて少しでも多くの方にこの状況を知っていただくのが私の岡山での一番の仕事ではないかなと勝手に思っておりまして、そして岡山で暮らす意味の多くは、そこにあるのかもしれないとも思っていて、大変失礼かなとは思ったのですが、このようなご挨拶をさせていただいてしまいました。あの、本当に申し訳ありません。
 原発の事故というのは風化したなどとも時折言わたりするのですが、私たちのようなものにとっては風化どころか生活そのものになっています。そして場合によっては、これはきわめて個人的な出来事のようにされがちなのですが、決してそうではなく広く一般的な話なんだということを、少しでもお伝えできればなというふうにも思っています。岡山でも気を付けないといけないことはあると思っています。そういう生活を、特に娘のためにはしているつもりです。生意気言うようで申し訳ないのですが、これも私の務めかなというふうに感じて、お話しさせて頂いてしまいました。
 用務のお仕事を通して岡山の皆さんにご恩返しできるということをほんとにありがたく思っております。○○でどれだけできたかわかりませんが、転任校でも少しでも微力を岡山の皆さんのために使わせて頂ければなと思っております。
 最後にはなりますが先生方のご活躍を陰ながらお祈りさせて頂きます。今日は失礼承知でこの場に立たせていただきました。お世話になりました。本当にありがとうございました。

(終わり)



kaigo_taxi at 07:05コメント(0)
作品 | 2019年

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2014 東京→岡山→ 原発事故という我々の無責任について。 我が家のギリギリ疎開計画 https://t.co/h63Rn0E2fX
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