2018年04月08日
おはようございます。昨夜は職場の歓送迎会がありました。
2018年4月8日
おはようございます。
昨夜は職場の歓送迎会がありました。最初はビックリしたホテルでのパーティー形式の歓送迎会にもだいぶ慣れました。年に数度の職場の会は僕には先生方のコミュニティーの広さと深さを感じる場でもあります。いつも僕は全く岡山とは縁のなかった者として、教員ではない臨時の用務員として、そして原発事故を理由にそれまでの生き方をほっぽり出してあくまで“避難”している立場として、どう先生たちと繋がっていけるだろうとそのきっかけを探るようにしながら参加させてもらっています。今回は幹事だったりしています。僕はそこで羨ましさと疎外感と喪失感を感じます。そしていつも思うのは、そういえば僕はもとはといえばどのコミュニティーの人間だったろうということです。どこかに所属していたような気もするししたことないような気もするしそれはまったく個人的な問題で僕が内面で処理すればよい事ではあるのですがこと原発事故に絡めてしまえば事故のむごさを伝える手段にもなり得そうですがそれはあるいは卑怯かもしれないし逃げかもしれないし短絡的であるようにも感じ、はたしていつまで大雑把に自分の心理を原発反対という記号でくくってよいものかと既にその時期は過ぎたことも想定して考えるわけです。
人はコミュニティーが変われば立場が変わりますがかつてのコミュニティーを今のコミュニティーは理解しません。それは人間のなにかしらの欲求を満たさなかったりしてそこに現在についての不安を生んだりしますが少なくとも今の僕はそれについては完全に克服していて、つまり、原発事故で行き場を失った僕ら家族に以前のコミュニティーについてセンチメンタルな郷愁を持つことは心情として、価値観として、権利としてはまったく完結していてそういう風に実は甘えている一方で、原発事故の試練を乗り越えるという理不尽さのようなものも味わっていないわけではありません。
一体原発事故とは極めて個人的な経験だったのかあるいは社会的に共有できうるものなのかが時間の経過とともにかえって分からなくなりそうなると、極めて個人的にうちへうちへ物事を考え完結するのが最善かと思わないではなくなります。