2017年12月27日

一年間お世話になりました

2017年12月27日

一年間お世話になりました。
 岡山での四回目の年越しになります。
 少し早いですがご挨拶書きます。

今年は得るものが多くありました。

 「放射能汚染防止法」を制定しようという運動があることを知ったのは得たもののなかでもとても大きなものでした。

放射能汚染を公害として捉えることで原発や汚染の問題を一人の市民として、また原発事故を機に大きく生活を変えた身として、どう考えながら解決の方向に向かっていけばよいのかの指針を頂いたように思いました。また、汚染から身を守ることを含めた人の権利について深く考えることが出来ました。

もうひとつは「あいまいな喪失」との出会いです。つまり「はっきりしないまま残り、解決することも、決着を見ることも不可能な喪失体験」と定義付けられている理論のことですが、
この言葉を知りこの考え方を伺って、今の自分の状況について少し整理がついたように感じ、そして理解して貰える可能性があることを知り救われた気持ちになれたことは大きなことでした。

原発事故以降、あらゆる影響による様々な被害について触れ、そして自らの翻弄された311以降の生活を毎日毎時刻振り返り疑問を投げ掛け、ある時は悩みある時は嘆きある時は涙し、そしてある時には絶望しある時には希望を持ち明日に向かわないまでもまずは立ち上がろうと踏ん張って来ましたが、しかしそれはあくまでも原発事故を契機に揺れ動かされた自分を含めた多くの、しかし全てではない人たちの訴えであり、且つ、個々に異なる経験と感受性により安易に共有出来ない事を前提にするのは当然の事として認識されるものに違いありません。

それぞれの、きめ細かく細分化されている筈の当事者としての訴えは、それぞれの権利の主張として比較されず等しく発信されてしかるべきで、ある主張は他の主張を否定するために存在するのでは決してなく、ましてや、糾弾などする、あるいは糾弾される類いのものとは明確に区別されなければなりません。

僕は娘に及ぶ原発事故の考えられるあらゆる影響を自分が亡くなった後にまで時間軸を伸ばし検討し、毎日あらゆるものと闘っています。無謀な野望と仮に揶揄されても仕方がありませんが、もって生まれた性分として評価されるのは然るべきとしても、そこで権利の干渉について言及されることについては本意ではありません。

100のうち99が不幸でも残りの1に希望をもつ。
つまり前向きに生きるとはそういうことだと教わり目から鱗の心境ですが、それを受け入れる作業については個性とタイミングは万能ではありません。優しさは受け入れを強制するとき脅威になります。

敢えて比較すれば、僕はまだ恵まれています。築70年の自宅は雨漏りがし、見上げる天井にはその跡が不気味に残っていて、潔癖症気味の僕はいまだに自分の家の風呂の浴槽に座れないでいますが、それでも仮設で暮らし続ける方々に比べたら遥かに幸せです。

そして僕は形のあるものは何一つ失っていません。

50を過ぎでいるにも関わらず両親はいまだ元気で仕事までしていますし、弟が建てたとはいえ、両親が住む家はちゃんとあり、友人知人もそのまま、懐かしい風景も時代の波を払い流せばあった場所に残っています。

全て残っています。なので僕はまだ恵まれています。

その全てと時間的流れと心情的動きが分断されたという事実は見えるものではありませんので、差し当りはあくまで個人的問題として自分で対処すべきはこれまた道理です。

誰でも悩み苦しみます。
そしてそれが全て癒されないまま、人は一生をもしかしたら終えるのかもしれません。

内向きに、そして流れに身を任すという言葉に、救われる気持ちにならないでもありません。

我が子は比喩でない宇宙ですが、その宇宙は出会って一年後に原発事故によりまんべんなく汚染されていきました。

前を向いて歩きたいと思います。
しかしその前に立ち方を思い出さないと行けません。

皆様よいお年をお迎えください。
 是非約束してください。
 僕も約束出来るようになれればいいなと思います。



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2014 東京→岡山→ 原発事故という我々の無責任について。 我が家のギリギリ疎開計画 https://t.co/h63Rn0E2fX
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