2017年09月01日

原発事故をどのように記録に残すかは

2017年9月1日


原発事故をどのように記録に残すかは、私たちにかかっているような気がします。あらゆる形で影響を受けた方々はどうやって自分の経験をお残しになっているかが気になります。

いつまでも、辛い気持ちのままいることなく前向きに人生を考えることは大事ですがそのなかで過去の経験を伝えるあるいは残していく事はなかなか難しい。

過去の被害は被害にあった者自らが伝え残さなければならないのは、当事者と認識するものされるものの権利について徹底的に黙殺していく社会の住人であるのならそれは全く本意ではないがある意味宿命なような気もします。

 極めて利己的で主義主張激しかろうとその記録の評価者はむしろ自称他称問わない将来の歴史家ではないかなと、決して言い訳ではなく思います。

僕の場合、娘に伝えておきたいという微かな願いもあります。

原発を四基1度に壊した民族は我々が初めてです。責任と言うと無責任な僕には大袈裟ですが、なるべくありのままを伝え残す手間は、しておいてもいい気がします。



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2014 東京→岡山→ 原発事故という我々の無責任について。 我が家のギリギリ疎開計画 https://t.co/h63Rn0E2fX
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