2017年07月07日

僕が岡山に来た3年前に比べると

2017年7月7日


僕が岡山に来た3年前に比べると多少は落ち着きましたが、それでも毎週のように移住者の交流会は開かれています。

官民問わない様々な支援組織やそれに携わる地元の方々や自らも移住者である皆さん、そして個人でも、地元の方、自ら移住者である方がメーリングリストなどで参加者を募って工夫を凝らした様々な企画をされたりしています。

僕もいろんな交流会や講演会をやりました。今は定期的にバーベキューをやっています。

 ある程度のイベントや交流会等については、複数の移住者向けのMLに登録していますので把握していると思いますが(これはたぶん移住者の中では多数派だろうと思いますが)、もちろん全て把握しているわけではありません。ですがそれらで知りうる限りのもの、また、自分が行ったものの、特に参加者の募り方については、福島からの移住者とか関東からの移住者であるとか限定せずに行われていると言っていいと思います。

夏の保養などについてはその限りではないですが、移住者は特に“どこからの移住か”という事については参加呼び掛けの際において、限定するといった告知は僕の記憶ではほぼないように思います。

“移住者交流会”には、福島からの人も神奈川からの人も集まります。それが今まで幅広く続く岡山での移住者交流の状況なんだと思います。

交流会の度に自己紹介があって、“○○から来ました”と挨拶をするのは、もう恒例行事と言っても良いかもしれません。

そうやって同じ交流会に参加する事においては、移住者同士はどこから来たか、という事について比較的わけ隔てることなく繋がっているのだと思います。

僕はどこから来たかを問わず、いろんな人が交流するのは良いことだと思っています。今もそうです。原発移住あるいは原発避難した皆さんには様々事情を抱え、考えもそれぞれ違いはあるものの、あの時の“絶望感”は共有できていて、その時から続く強い思いの多くは重なっていて、だから、移住者は繋がることが出来ていけると考えていました。

ただそこには誤魔化しがありました。

皆が移住者として理解しあう事が出来るのはよいのですが、ではなにが繋がっていたのかというと、互いのあわれみというか、大変な思いを互いにした事に対しての慰め合い、いたわりあい、心の拠り所を求め会う、そういう繋がりかたに留まっていたような気がするわけです。

それがダメと言っているわけではないんです。繋がりかたには違う方法もあるのではないか、という事をこれから話そうと思っています。

互いをいたわりあう事で繋がることも大事だけど、互いに持っている権利を認めあう事で繋がることは、より僕たちの心的物理的な救済には有益なんじゃないかと思うわけです。

くちはばったいので言い替えればこうです。

あの時、葉もの野菜が汚染れてるかもしれないと思って必死に洗おうと思ったけど、その洗おうと思った水道水が汚染れてるかもしれないんだと気が付いたあの時の絶望感を、僕たちは悲劇として共有するのではなく安心していきる権利を阻害されたとして互いに認識し合うべきだったんじゃないかと思うわけです。

大変だったよねではなく、大変な人権侵害だったよねと心でなく権利の傷付きについて、僕たちは認識し合わないといけないんじゃないかと、思うわけです。

今、移住者の間で“比較”はタブーです。

それは互いの苦難をいたわりあうからタブーになるんだと思うわけです。

しかし今、比較は必要です。なぜか。

苦難、具体的に言えば避難かもしれませんが、これを比較しなければ正当な権利の補償は訴えられず、したがって得られもしないからです。

不幸を比較は出来ませんが権利は比較出来ます。

チェルノブイリ事故の様々な教訓は、果たして生かされているでしょうか。当時のソ連は除染をやめ住民を逃がす選択をしました。そして市民は権利を獲得しました。では日本はどうか。

その事について考える事は、決して時期尚早ではないと思います。

僕は原発事故か憎いです。一生恨んでも恨みきれません。だからこそ、権利の主張は必然だと考えます。そして法に委ねてみたいとも感じるわけです。

僕らの国は法治国家ですので。



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