2015年06月03日

我が家のギリギリ移住計画100

2015年06月03日
    


 
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久しぶりに書いています。近況について書きます。

岡山へ移住後、一年間住んだお試し住宅を出て現在は岡山市北区のJR岡山駅からほど近い古い街並みの残る住宅地に一軒長屋の一世帯分をお借りしてこの3月から住んでおります。古民家風の建物は痛みが激しく、そのかわりというわけではありませんが家賃は破格で、それはこの学区でよくこの金額の物件が探せたねと感心されるほどで、お陰様で家計的には大変助かっておりまして非常にありがたく思っています。不動産屋にはお好きにお直しくださいと言われておりまして、それではと、今後は多くの方が気軽に来ていただけて、いろんな話ができ、いろんな交流が生まれるスペースを目指しながらこの家をつくっていこうと思っております。

仕事ですが、妻はお陰様で高齢者施設で社員としてバリバリ頑張っています。僕は市の臨時職員の学校の用務員として働いておりましてそろそろ一年になろうとしています。再度契約をしていただき、あと一年間は今の仕事を続けられることになるかと思います。

月日の経つのは早いものだなぁと思います。

娘ですが、引っ越しをしてからお陰様で公立の保育園に通っております。自主性を重んじる保育園で果たして娘はやれるだろうかと当初心配していましたが、何とか頑張ってくれています。お友達の名前も娘の口からたくさん出てくるようになりました。男の子の名前が多いのは少し気になりますが、汗。通園も近く便利で、毎日主に僕が送り迎えをしております。保育園の準備や毎日の食事など、まだまだですが少し慣れてまいりました。妻は仕事を頑張り僕は家事を頑張るという我が家のスタイルが少しづつ出来てきたように思います。

まだまだ多くの不安が残っておりますがなんとかやっております。不安な将来をしっかり見つめて善後策をひとつひとつクリアしていく事を我が家の生活の基本にしていく必要があると思っています。

そういう意味では娘の天真爛漫さにはおおいに助けられています。挨拶と英語の発音はうちの娘は他の子には負けません。自画自賛ですが。

あと一年間、学校で働かせていただくことになると思いますが、これはまたとないチャンスだと感じています。出来ることがあると思っています。それも含め今後一年間の「めあて」を考えています。

1.次の仕事について考える事
2.避難や移住などについて、先生方との情報共有する事
3.図書館に放射能あるいは原発に関連する本を置いてもらう事
4.移住者として地元に還元できる活動をはじめる事。

僕の今後の岡山での生活は、原発や放射能、また避難や移住について深くかかわるものにしたいと考えています。311以降大きく変化した価値観を埋めるものは数少なく、これらの事について微力を使わせていただく事以外になかなか今後の指針が見当たらないでおります。たったひとつ、はっきりとした目的が持てるという事は嬉しい事ではありますが残念なのは自ら進んでそうなったわけでもなくまた多くの被害者が今この瞬間にも存在しているという事に尽きます。これからの一年間で何をどのくらいできるかわかりませんが方向は定まっていますので悩むことなく進むことが出来ます。具体的な事柄についてこれからしばらくはこのブログでお伝えしていきたい、またできたらいいなと思っています。


以上、次回に続く。


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2014 東京→岡山→ 原発事故という我々の無責任について。 我が家のギリギリ疎開計画 https://t.co/h63Rn0E2fX
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