2015年04月30日

我が家のギリギリ移住計画97

2015年 04月 30日

ヘチマとスイカをつくることになりました。もうひとつ畑があるのでもうひとつやる事になるのだともいます。残っている支柱使って朝顔やります。キュウリもいいですねと専科の先生にアドバイス貰いました。子どもたちの手前、僕は栽培のプロという事になっています。みんなはじめてやります。今年度はすべてに詳しいベテラン先生がいらっしゃらないので皆僕のところに来ます。どうして先生は門外漢なものについては“ご指導ください”と皆言うんですかね。指導されたいのはこっちなんですけどと思うのですが、まぁ何とかなると思います。311以降ありとあらゆるものが呑気にやれるようになりました。こだわりが一切なくなりました。そんな事に一喜一憂するような場合ではない世界に生きていますので。大げさかもしれないが小げさっていうわけでもないってなもんです。


おとといの飲み会ではやっぱり僕と“岡山の先生”との間には見えない仕切りがあるように思いました。接点のせの字もないんだもん。24歳の先生に僕が24の時は歌舞伎町でパブのボーイやっていましたと言って人生観語ったところで大して役には立たないですし、彼はもう人生決めてしまったわけで僕は人生決めずにここまで来ましたのでアドバイスもへったくりもないのですが、ただ彼には見えないものが僕には見えるんじゃないかなという予感はどっかあったりするわけです。

新年度に入った途端それまでクラスに入れなかった子どもが何も言わずに席に着き一日クラスで過ごしたことを職員室でベテラン先生含めて皆で驚いていたのですが、それに僕は驚いたわけですどうしてそんなことがわからないんだろうって。先生はなんでも知ってるし何でも分かるのかと思っていたら結構そうでもなくて、たしかに凄いなと思う事はあるのだけれど世界が狭いから気の毒だなぁと思えて仕方なかったりはするのですけれどね。東京のプー太郎は岡山の先生たちの中で今とっても初々しい体験をしているなっていう思いで一杯でいます。


そして僕は彼らに伝えられることが山のようにあってウズウズもしているのですがはたしてそんな見えない壁を乗り越えるようなそんなタフなことが出来るのかというかそういう事が起きるのだろうかと自分のことながら興味はあるのですが確かにそういうチャレンジはタフはタフではあります。

次回に続く。



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2014 東京→岡山→ 原発事故という我々の無責任について。 我が家のギリギリ疎開計画 https://t.co/h63Rn0E2fX
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