2012年02月23日

我が家のギリギリ疎開計画8

2012 02 23

 

夜。

僕は意外に楽な夜を迎えている。

静かなのがうるさいけれど、ちょっと落ち着いている。

やっぱり“気にしなければいけない”環境から二人が出たことが、僕を大きく楽にしてくれているかもしれない。

床を転がっても風に髪をなびかせても、常にそこには“被曝”を意識しないではいられなかった。

考えすぎだといわれて、ハイそうですかとは、なかなかいかない。

今この国の汚染状況は自己判断に委ねられている。

油断もへったくれもない。

娘以上に妻が解放されたことに、僕はほっとしている。

疲れていたはずだ。

我が家は1年近く、食事に細心の注意をはらってきた。

除染もした。一生懸命ベランダも玄関も掃除をした。

部屋の壁も拭けているのかいないのかわからないが、とにかく拭いた。

服を脱ぐ場所は玄関になり、僕らと娘が飲む麦茶は別々に分けられた。

 

妻はそれから解放された。

ほんとよかったと思う。

お疲れさまと言ってあげたい。

ゆっくりしてねと。

食材への注意は今後どこへ行っても残るけど。

 

妻は写真を送ってくれている。

送ってくるたびにそれを携帯の待ち受けにすることにした。

今の娘が見てられる。

僕は今朝最後に、取っておいてもらったキャリーケースのスペースに僕が毎日、朝昼晩と使っているマグカップを入れてもらった。

自分の代わりに行ってもらうことにした。

娘が僕を忘れないように。

 

羽田に向かう車の中で、

僕らはいろんな話をした。

思い出話のようになった。

妻の決意を感じた。

僕も遠い先に白状しようと思っていたこと、娘が生まれる前から、娘あてのノートを書いていることを明かした。

そしてそれが去年の3月10日で終わっていることも。

最後の日記に将来の展望を書いたことは言わなかったけど。

 

座イスに寄りかかると、

やらなければならないたくさんのことが

散らかり放題に散乱している。

どこから手をつけるか、考えるだけでぞっとする。

今日はとりあえず、勘弁してくれ。

 

それにしても。

それにしても長崎は近い。

今日昼前に送って、そのまま夕方までちょろちょろっと仕事を片付け家に戻ったころに娘は長崎でもう遊んでいた。

恐るべし、飛行機。

ますます信用できなくなった。

 

いろんな思いが交錯している。

これからこなさなければならないたくさんの“準備”と同じように。

 

妻が僕に書き置きしてくれた食材メモは、また僕を泣かせた。

何かの参考にもなるかもしれないと思いますので、あとでここで紹介します。

とりあえず、焼酎をもう一杯。

 

次回にたぶんすぐ続く。



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2014 東京→岡山→ 原発事故という我々の無責任について。 我が家のギリギリ疎開計画 https://t.co/h63Rn0E2fX
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