2013年07月25日

我が家のギリギリ疎開計画65

2013年 07月 25日

 

おはようございます。

娘と妻の4回目の一時疎開の予定が決まりました。

今度の日曜日に妻と娘は保養先の長崎に出発いたします。

今回は新幹線です。

飛行機をやめたのはいらぬ被曝を避けるためと、小児運賃の回避です。

 

長崎は3度目なので要領を得ております。

妻の最も大変な仕事は居残る僕の食事の準備。

食べ物に関して言えば僕はペットとさほど変わりません。

 

娘には時々、わかっているのかいないのかわかりませんが、一応“また長崎行くよ、お母さんといっといで、お父さんは留守番しとくから”と言っています。突然ではかわいそうですし、前回散々泣かれたので。

 

一体何をやっているんだろうと、たまに突然感じることがあります。

今どこで生きているんだろうと。

 

すべて嘘であってほしい世界に生きるためにはたまに現実逃避が必要であることを人間の体はちゃんと知っているんですね。

これこそ危機管理。

 

危機管理は人間の感性に正直になれば、出来ることなのにね。

 

我が家にとって長崎は知り合いや仲間のいる行ったことのある、あくまで一時疎開の場所になりました。

 

移住を検討するための候補地からは外れました。

ほかに候補地ができました。

 

そのための準備に、娘と妻がいない一か月、僕は取り掛かるつもりです。

 

1.移住検討先の支援の方と情報のやり取り。

2.下見の予定を組む。

3.帰ってきてからの妻のパートと、週末保養の予約。

 

僕のネックは仕事です。

車を持って許認可もらっている自営ですので、廃業もしくは移転の場合、もうここには戻らない、戻れない、そのくらいの覚悟が要ります。

それでもかまわない状況がないと移れない。

そもそもいつかは東京を抜け出したいと思っていたので、その延長で考えればいいのですが、いきなり動くことが先に求められましたのでそこが辛いとこです。

 

余儀なくされて移動するより、自分の都合で東京を離れたい。

そういう状況にしないと、簡単には動けません。

そんな無責任はできない。

今は早く“動ける状況”を作らないといけない時期だと考えています。

 

動くのは僕らの意志にしないといけない。

やむを得ず逃げるにしたくない。

 

こしてこれは国への強烈な抗議のつもりでもあります。

 

ずっと僕は作戦を練って生きてきたのでこれからもそうします。

原発事故は予想はできたが実際の作戦の中では想定外だったのが、僕の誤算だった。

さすがに焦った。

でもまだなんとか地上すれすれを飛べている。

 

これからもうちのことでも書けることは書きます。

情報をできるだけ共有することがこれからの生きる術だと思っておりますので。

 

次回に続く。



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2014 東京→岡山→ 原発事故という我々の無責任について。 我が家のギリギリ疎開計画 https://t.co/h63Rn0E2fX
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