2012年02月16日

我が家のギリギリ疎開計画1

2012年 02月 16日

娘と妻の3回目の疎開が来週に迫ってきた。

行先は前回と同じ長崎だ。

疎開の紹介サイトで見つけたここは妻も気に入り仲間もでき、そういう知った場所なのでその点の不安は今回はない。

少しでも東京から離したい、特にこの時期は花粉の飛散する時期。

万が一にも備えるつもりで行かせることにした。

今はとにかく情報が足りない。

国の言うことは怪しいし、ネットの情報は氾濫するが、右から左まで幅広い。

結局自分の判断ということになる。

 

駅のホームに電車が入ってきた。

大人は構わずそこに立っているかもしれないが、危ないよと言われた子供を抱えたお母さんは、きっと後ずさりすだろう。

子供を守るということはこういうことで、今起こっている放射能に対して心配をするお父さんお母さんの気持ちはまさにこれと同じだと思う。

これを理解してくれない聡明な人達が多いのにはほんとにびっくりする。

 

最初は僕の母親の実家含め宮崎、鹿児島に10日間。

年末の2回目は長崎に2週間。

そして今回は4月までの間で期間は未定。

帰りの算段は、今のところ取っていない。

帰らないつもりでもなく、一応期間に幅をきかせるつもりで。

今、先のことが分からない。

僕自身もどうするか、決めていない。

というよりどうなるかわからない。

唯一決まっているのは来月半ば、

長崎にいる妻と娘に、長距離バスに乗って僕が向こうに会いに行くことと、来週さ来週、その次の週くらいはたぶんこのまま仕事をするだろうということ。

そのくらいだ。

そもそも仕事でお客さんからの予約を受けている。

考えたくても考えられない。

こんなことは初めてだ。

怖くて仕方ない。

 

僕はジレンマにさいなまれている。

不安な東京から離れさせたいのに、離れることがつらくて仕方ない。

他のお父さんはほんとに偉いと思う。

ぼくはもう今から必死に耐え忍んでいる。

寂しくて死ぬかもしれない。

どうやって紛らわそうか一生懸命考えている。

バイトでもするか。

 

何度も疎開させて、誤解される前に書いておくけど、余裕など全くない。

たぶん他の家庭より、はるかにうちは貧乏だ。

たぶん。

 

去年3月地震でお客さんが減った。

外出する人が少なくなった。

旅行も手控えるようになってしまった。

これで計算が狂った。

一方で出費は増えて行く。

食べ物に気を遣わなくてはならない。

成城石井は高い。

でも仕方ない。そこでしか売っていないんだから。

地震前一生懸命書いた保育園申し込みもいらなくなった。

ただでさえ待機児童扱いだったのに

汚染されたおやつを食べさせられ、病院の放射線すつより高い線量の高い公園で遊ばされるなんて、こっちからごめんだ。

だから預けない。

そして妻は働けなくなった。

 

嘆いても仕方ないが、歴史上、貴重な経験をしている僕たちが恥を忍んで書き置くのももしかしたら何か価値があるかもと、皆さんの前で素っ裸になることにした。

見るに絶えないかもしれないが、ご容赦いただきたい。

何回続けられるかわからないが、その1とさせていただいた。

 

文章に脈絡がないが許してほしい。

次回に、一応続くつもり。



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2014 東京→岡山→ 原発事故という我々の無責任について。 我が家のギリギリ疎開計画 https://t.co/h63Rn0E2fX
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