2019年01月17日

2019年1月17日

放射線副読本の話題が僕のタイムラインに乗ることが増えています。勤務する学校にもこの副読本があり、暫く山積みされていたものがなくなったので子どもたちに配られているのかもしれません。先生にこの副読本について聞いてみたいことがあるのですが三学期のこの時期、なにぶん先生方はお忙しくしていてなかなかお声かけのきっかけがありません。なんとか本のことをもう少し知りたいところです。

放射線を怖がりすぎないでというのが大まかな内容のようですがならば、まず放射線に関する日本の基準は原発事故以降、原子力緊急事態宣言発令中という大義においても緩和されており、その点からそれは国際的基準と比較すると決して厳しくはないということと、国民は放射線被害から逃げる権利を持っていて、国際的にもその権利についてはそれぞれの状況でそれぞれに認められていて、それがより具体的に示されているのがチェルノブイリ法であるというこの少なくとも二点について説明した上でこの副読本を活用していただきたいと思うのです。

ただ、よく考えると、“安全です”という意味の言葉を使うことによってリスクについての説明をすることが、我々の国、我々の社会において当事者の権利を守ることとして容認されているのだと仮にすれば、なぜ安全面を強調しこのような副読本が出されるのかの理屈は通るような気もしてきて、それでは納得など出来ないというのであれば有効な手段としてやはり「逃げる」ということにつきてしまいかねないなと気付いてしまったりもします。

そう考えて自分のこれまでの、これまでのというのは311より前も含めた生き方の話ですが、それを振り返った場合、それはもうまさに逃げて逃げて逃げまくった人生だったんではないかなと今さらでもありますが気づいた気がしてしまいました。

#この国で闘うということ



2019年01月14日

2019年1月14日

おはようございます。
“避難者”の僕は神奈川の実家に里帰りして、果たして職場に土産を買って帰るかを今回もまた悩んでいます。僕の後悔は、生まれて初めて納得せぬまま本意ではないまま自分の人生を大きく変更したこともありますがそれよりも親を悲しませたことがなによりです。ですから、親父とお袋がいなくならない限り僕はこれから帰る土地を残念ですが、非常に残念ですが愛しきることは出来ないと思います。ごめんなさい。本当にごめんなさい。僕はこれから帰る土地の皆さんに決してお邪魔にならないように過ごします。今いるここには生きている実感があります。ここから僕は自由気ままに飛んでいました。すでに娘の人生をいかに素晴らしいものにしてあげられるか、それだけしか考えていません。なのでそんなことにノスタルジーは感じてやりませんが、いきなりぶった切られた体の血の滲んだ傷口はしみてしみて仕方ありません。ここの鳥が鳴いてます。外は明るいんだと思います。起きて仕度をしようかなと思います。娘はお父さん先に行くよとおばあちゃんのいる下に降りていきました。

原発反対。

 #原発避難からの #岡山



1月14日

庭。
 新しい住まいには庭どころか自転車置く場所に困るくらいなのだけど、生活の場、闘いの場、生き抜く場としては僕はたぶん満足しているかもしれません。
 帰る度、親たちが来る度、少しずつ家族が穏やかになります。今回は杖をついていなかったお袋は本厚木の高速バスの乗り口まで送ってくれた弟の車に同乗し、バスの出発まで待っていました。またおいで、ではなく新しいおうち行くからねとお袋は言いました。だんだん穏やかになりますが、こういう場面僕は好きではありません。弟たちには今年の五月の連休が長いことを教えました。夏行くよと言ってました。いつも今度はいつ会えるんだろうと思うけどすぐ一年とか半年とか経っちゃうねとお袋が言うので安堵もしました。時間は残酷ですが優しいとこもたまにあります。我が家の正月が終わります。長い正月でした。もうすぐ岡山に帰ります。
#原発避難からの


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2019年01月09日

2019年1月9日

震災前は二ヶ月に一度は実家に帰っていたかもしれません。もちろん半分諦めていた孫を親父お袋に会わすためです。第三京浜の玉川インターのそばに住んだのは、相模原の実家に行くのに都合がいいからです。16号バイパスは混みますが246みたいにイライラせず東名より第三京浜使った方がわずかに安いからです。世田谷の野毛から相模原の実家まで、一時間かからなかったこともありました。でもだいたい一時間半はみていました。それくらいなら着きました。

最後まで悩んだのはお袋と娘を遠くに離していいものかということでした。岡山に来てからお袋は弱りました。それでも岡山に親父と一緒に七、八回は来たかもしれません。確か去年は来ませんでした。それが間違いなければお袋たちが来なかった年は去年が初めてです。その代わりこちらから二回行きました。嫌いな飛行機も乗りました。ペースとしては、年に二回会わせ続けられています。結構タフさが必要です。年二回が多いのか少ないのかを決めるのはお袋です。それが僕の人生最大の苦痛です。原発反対です。
#原発避難 #岡山



2019年01月07日

2019年1月7日

おはようございます。
なんとか引越しの荷物が落ち着いてきました。娘が二階の部屋の自分の荷物を仕分けしてくれたので助かりました。むしろ僕と妻の荷物の片付けの方がまだまだこれからです。家財道具を整理しながら、新しい家についていろいろ考えた年末年始でした。いろいろ考えた末、これからやないといけないなと気付いたこともあり、また頭の整理も出来たような気がしていてこれはこれで良かったと思います。引越しの疲れがあちこちに出て参ったこともありましたがなんとか収まりそうです。いつもの日がまた始まり僕は次の準備をしようと思います。

まったく不躾で押し付けがましく恐縮この上ないのですが、生活するということが闘うということと限りなくイコールになった我々の姿がどんなかたちでか残ることには今、なんらかの意味はあるんじゃないだろうかと思いながら過ごしています。

 引き続きよろしくお願い致します。

#原発反対 #原発避難からの



2019年01月06日

2019年1月6日

日本の原発事故の不幸は選択出来ないこと。復興は被災地の悲願であって土地を取り戻すことに僕たちは伝統的に懸命です。しかし原発の苛酷事故ではそこにはリスクが生じるので、被災者はその選択についてあらゆる判断をする必要があるのに、この国の行政は選択の余地を与えず国の思惑を優先した方向にだけ誘導しようとします。我々の復興に対する思いは気質においても慣習においてもきっと強いものがあるように思いますが、その思いを打ち消す必要は必ずしもなく、僕たちは新たに「選択」を付け加えることで、僕たち独特の新しい民主主義をつくるんだろうと思います。

否定せず新たに付け加えていくことで僕らは民主的になっていくのかなと、そう感じます。
おはようございます。



2019年01月04日

2019年1月4日

箱詰めにされた“中高生のための放射線副読本”が年末から廊下に置かれています。先生方はこれを使ってどう指導されるのか気になります。国策であり電力会社が勝手に起こした訳ではない原発事故が原因の放射能被害について、その当事者が謝罪も逃れる権利も言わない前に怖がりすぎないでと説き伏せるかごとき「教育」は民主的には前近代的に見えます。違うでしょうか。この本を僕がまったく否定せずにただ付け加えることがあるのだとしたら、つまりそれは原発事故を怖がらない権利についても恐がる権利についても、国はいつどのようなかたちで説明するのかという簡単明瞭な質問ということになります。

日本は民主主義の国だそうです。
であるならいたって自然な質問だと思います。

 違うでしょうか。

数値について、これは危険でありこれは危険ではないという話を僕は今ほとんど望みません。

日本は民主的な国なのかを国に聞きたいだけです。

あのような本を学校で子どもたちに配布するということは、かえって勘ぐられることにはなりませんかということも聞いてみたいわけです。



2019年1月4日

家族もそうですけど僕はいまだに逃げてるんです。ずっと。そこが先生と違うとこかもしれないです。逃げてるからその間の仕事とか住まいとかについての考え方も当然違ってると思うんですよ。ただそれがあくまで僕の極めて個人的な事情でしかないことなのかそれとも手の届く範囲から広く国全体に及ぶ社会に一応了解してもらっていることなのかそこがよく分からないでいるわけです。そんなことが果たして可能なのかなんて思ってみたりもするのですが少なくとも、少なくとも三十年前の旧ソ連はそれを了解してくれたわけです。権利として法律で。そりゃ法が適正に運用さるてるかどうかなんてことはあるとは思います。あるとは思いますがちゃんと条文化したわけです。あなたには逃げる権利があるってやったわけです。リスクについての授業だってちゃんと学校でやってるんですよ。いまだに。じゃ我々はどうかと。我々は国から権利についてなんか説明受けましたかね、ってまあそういう話です。
#珍しくちゃんと挨拶が出来た1月4日の朝に思ったこと



2019年01月03日

年末の27日に引っ越しました。場所は以前の家から一キロあるかないかくらいの隣町の戸建です。2014年に岡山に来てお試し住宅に一年、そのあと北区南方の築五十年はくだらない六軒長屋の真ん中に居を移してそこで三年十か月暮らした後の今回の引っ越しです。

南方の住まいは期間が一年のお試し住宅の期限が切れるのを前に、2015年の正月早々に数か所の物件を回って内覧した中から選びました。非常に古く、建具と柱は明らかにどちらかが斜めになっていて、きちんと閉まらず日当たりにしてもさほど良くなく、また風呂やトイレの状態も決して良かったわけではなかったのですが、なんとか娘を行かせたいと思っていた小学校の学区内で、そこと同じ家賃でほかの物件を探すのは相当難しいことではないかと考え、またお試しの期限も迫ってきてたこともありましたので、ここしかないこれも縁だとほぼ即決して決めました。住んでから雨漏りすることがわかって結局その部屋は最後まで使わずじまいにもなったりと、いろいろ古いが故の苦労もいくつかはありました。

僕や妻はこの家をおそらくは一時の住まいと考えていたと思うのですが娘は違いました。確かに4歳からの4年弱という期間を過ごした家ですので僕らとは思い入れが違うのかもしれません。名残惜しいこともなんとなく言っていました。

なんとか同じ学区で新しい物件はないだろうかと半年ほど前から情報を入れておりました。というのも実は今回の引っ越しのそもそもの理由が「立ち退き」で、半年前に不動産屋から伝えられたのが始まりでした。納得できる条件提示のようなものがなく、こちらも移住支援してくださっている弁護士さんに相談したりしてしばらく静観していたのですが、半年後になにもないままに再び立ち退きについて切り出されましたので、今度はこちらから条件提示するなどして具体的に引っ越しについて考えだしました。不動産屋から再び立ち退きの件を聞かされたのが11月、引っ越しを決めたのは12月に入ってからです。そして具体的に考える前から目星をつけていた物件を内覧などしてそちらの不動産屋とも折り合いをつけていきながら今回の引っ越しになったというのが経緯です。

引っ越しが年も押し迫った27日でしたので、年末年始の正月休みはひたすら荷物の整理に明け暮れました。今回の引っ越しが岡山に来てから2回目で3軒目の家ですが、今までの住まいと違ってこの家には当分住むことになるだろうなとか、当分住んでいたいなというふうに思っています。最初のお試しは1年の期限付きでしたし、前の家はぼろぼろでどれだけ住めるか正直わからない、引っ越しの初期費用もほとんどかかっていないから出ようと思えばいつでも出られると思いながらおりましたがそれとは少し違っています。

前の家は家賃が安く希望する学区でしたが、お試しを出てからのとりあえずの家、住めるならどこでもいいというふうに思って住んでいました。それはたぶん、自分は逃げてきた、という思いが強いために住まいに頓着せず、それに岡山に根を下ろして新しい生活を作ろうなどというような気持ちにも簡単にはなれないということはあったんだろうと思うのですが、そういう先の見えない思いのようなものは、311以降ずっと途切れることなくずっと持っていたもので、状況の変化はあれど根底には消えずずっとそこにあるものだとは思います。


いったいどこへ行くのだろうという思いは、自分たちのことでもそうであり、また原発の行く末、この国の行く末についても同じ思いであったのかもしれません。知らない土地であろうと地域になじまなければならないというのは、こういう思いのある僕には正直厳しい言葉でもあります。しかしそういう思いははたして持たなければいけない思いなのだろうかという素朴な疑問も出てきます。
つまり、原発の過酷な事故に対しての我々の権利がより明確であれば、もしかしたらどんな家でも構わないだとか、この先どこへ行くことになるんだろうだとか、地域となじめず辛いなどという思いを、僕はしなくても良かったのかもしれないと思ってしまうのです。
僕は東京の世田谷から逃げましたので、チェルノブイリ法にあてはめても「逃げる権利」は得られないかもしれません。しかし、あなたには逃げる権利はありませんが逃げた際の補償についてはそれを受ける権利がありますと仮に言われたら、どれだけ救われたろうかと思ったりします。

そこはチェルノブイリ法と日本の“子ども被災者支援法”の大きく違うところだなと思います。

新居は築年数は40年と経ってはいますがリフォームされきれいです。庭がなく自転車の置場に困りはするのですが広さや間取りを僕は気に入っています。将来の娘の部屋もあります。片づけは大変ですが今までと違い岡山での暮らしの展望がこの家で見え出した気がしています。良い家にしたいなと、長く住みたいなと、今思っています。そのためにはやらないといけないことがたくさんあるはずです。それをこれから整理してひとつひとつつみあげるように実践できればと思っています。


次回に続く。




2019年01月01日

1月1日

新居です。ありがとうございます。


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2014 東京→岡山→ 原発事故という我々の無責任について。 我が家のギリギリ疎開計画 https://t.co/h63Rn0E2fX
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