2018年12月09日

この回から「我が家のギリギリ移住計画」はこのブログに書いていくことにします。

前回の「110」が去年の6月ですので一年以上ぶりのエントリーです。
理由は311についての自分の記録を可能な限りこのブログに集約することにしたためです。
一か所にすべてを集めておくことで個人的な日記であれ何かのお役に立つかもしれないと考えたことと、娘に311からの出来事を伝えるために整理して残しておきたいという二点です。
現在まだ整理の最中なのですが、新たなエントリーはこの整理が終わったらと思っていましたが、それを待っているとさらに整理しなくてはいけない記録が増えていくことになりますので、その手間を省くため最初から記録として整理した形でここに書いていくことにしました。

現在の住まいが立ち退きを迫られ、なかなかこちらの借主としての立場を理解してもらえないまま半年程度を過ごしたのですが、納得いかないままではありますがなんとか貸主側からはギリギリのところでの譲歩を得ましたので、目星をつけておりました物件について具体的に話を進め始めました。

我が家年内に転居します。

今の住まいはお試し住宅の期限が切れるのを前になんとか安くて我々の希望にかなうところはないかと散々探してたまたま出てきた物件で、地区何十年なのかわからないほどの長屋の真ん中の部屋は傾きかけていて日当たりも良くなく、また一部屋は畳の劣化が激しくとてもそのままでは使うことができないような状態で雨漏りもするようなものでしたが、とにかく希望の学区で安く住めればそれでいい、引っ越し費用もほとんどかけることなく済むのだからまた引越そうと思えばすぐにでも越せるという緊急避難的な家として考えておりました。

そうはいっても幼い娘にとっては思い入れのある家ですし、また今回のようなオーナー側からの要請ということであればまた意味は違ってくるので複雑な状況ではありますが、日常のなににつけ、なんでも捨てることが別れに繋がるようすの娘には、今までどおり同じ学校に行けるようにしたこと、引っ越す経緯や僕と妻の意向、それとあなたは将来どうすべきかということを話しました。小学校三年生の娘はうんうんと頷きながら聞いていました。

彼女なりに理解しているなと思いました。

青天の霹靂というわけは決してないのですが、三度自分ではない第三者によってそのタイミングを決められてしまう引っ越しが続くことになりましたが、ただひとつ結果的によかったのはもう少し先の娘の部屋の問題をこれで解決することができそうなことです。そして立地についても夫婦とも満足をしています。

まだ動き出したばかりの引っ越し作業です。忙しい年末になります。心を崩している暇はないのですがこれも穏やかに自分をだましながら時を過ごしたいと思います。

アフター311という世界は僕らの感受性をぞんざいに扱い、僕らは外皮を剥がしたまま塩の海を泳いでいるように苦しみもがいていますが、しかし負けるわけにはいきません。

この世界に是非勝って、娘を素晴らしい未来に送り出したいと思います。

また経過お伝えします。

次回に続く。



2018年12月08日

2018年12月8日

今の不動産屋がきちんとした対応をすることが前提にはなりますが、我が家年内に転居します。娘が今までどおり同じ学校に行けるようにしたことを、引っ越す経緯や僕と妻の意向、それと自分は将来どうすべきかということを含めて彼女に話をしました。小学校三年生の娘はうんうんと頷きながら聞いていました。

彼女なりに理解しているなと思いました。

アフター311という世界は僕らの感受性をぞんざいに扱い、僕らは外皮を剥がしたまま塩の海を泳いでいるように苦しみもがいていますが、しかし負けるわけにはいきません。

 この世界に是非勝って、娘を素晴らしい未来に送り出したいと思います。

#原発避難 #岡山



2018年12月06日

2018年12月6日

歯が抜けました。もう自分で勝手にしまいます。

47571434_1998525180213827_2470129524080115712_n



2018年12月6日


写真の話です。

最近また写真撮りたいなと思うようになりました。まったくの素人で、ロケの合間に当時出だしたカメラつき携帯でなんとなく撮りだしたのがはじまりで、そのうち弟の一眼レフを暫く借りてわざわざ出かけて撮ったりしていました。どっかにまだあの時のネガがある筈です。

ロケのドライバーは東京の風景に関心を持ったり実際に写真を撮るには都合のよい仕事でした。カメラつき携帯の登場はいうに及びません。

 いつでもどこでも東京は僕にとって被写体でした。東京という街の刹那さはそのまま僕の、或いは人間の“切なさ”に重なり、東京を写すことが僕の混沌を写すことになりました。そして写真を撮ることそのものが東京を撮ることであり自分を撮ることでもありました。

結婚し仕事を替え娘が生まれる中で写真のことを忘れていきました。写真でない場所に自分をみつけたということです。そして311。

僕は311後の東京を撮っていません。何が撮れただろうとあらためて想像する瞬間もないではありませんが、あれ以降の自分、あれ以降の世界を写真に納めることなどとても出来ないかもしれません。

そして今岡山です。僕は毎日岡山の風景を見ていますが、岡山の風景というよりも、今毎日見るその風景は僕には311後のどこだか分からない街の風景といった方が実はより正確かもしれません。

得たいの知れない世界の街。

今見る風景を写しても、そこに写るのはなんなのか僕にはいまだ全然分かりません。だから、まったく撮る気がずっとしなかった。なにを撮ることになるんだろうと。

でも最近また撮りたいなと思うようになりました。ただそれは風景ではないだろうと思います。風景に僕はいないのですから。僕はどこにいるだろうと探します。

人かもしれないとも思います。
 人は撮ったことがないのですがもしかしたら人を撮る写真の中に僕はいるかもしれないと少し感じています。

今はまったく自信がありませんが。でもそこに自分がいることは分かってはいます。

人は感じたことを表現することでしか存在し得ない気がします。方法は千差万別。残すということではない、今いるということの確定。

今いるということをちょっと撮ってみたい気がしています。

#原発避難 #岡山



2018年12月03日

2018年12月3日

「出川哲朗の充電させてもらえませんか?」という番組を面白くて最近欠かさず視ています。
 今回は日光から会津を通ってゴールは喜多方でした。僕は今回はあまり視る気がしていなかったのですがいつも通り録画もして視ました。

いつもの出川さんの人となりを視て、もう少し以前なら僕はなんだ出川さんもなにも言えないのかとか、なんにも知らないのかなどと次から次へと裏切られていくテレビに脱力し、そしてそこに映る人々はどうしてそこに住めるのか、なぜそんなところを旅しようなんて思うのか、不思議というか愚かだなとも感じていたのかもしれないのですが、今回はそれが少し違いました。

 人が土地を愛し、人が人を愛し、風景に癒され、郷土を伝えようとする心は変わらず、そしていつでもどこでもそれは変わらなくてもいいんだなということをあらためて思い直し、人の暖かさやこどもの無邪気さも変わらなくてよいものとして拝見することが出来ていました。

ただ、彼らには約束がされているのか、ということだけが気になる全てのほとんどでした。つまりここは汚れています、これだけのリスクがあります、その上でそこにいることもいないことも自由ですというような選択の自由がどれだけきちんとされているのかということが気が気で仕方ありませんでした。彼らは選択した上で日常を続けているのかという風にです。

それがないのならかわいそうで仕方ない。

人は不幸が起きてほしいなどとは当然思わず、仮に起きても過小評価しようとするものなのかもしれません。しかし、これだけ民主的でなければいけなくなった世界でそれをそのまま仕方ないものとしてほおっておいていいのかとも思います。

原発は極めて民主的でないと動かしてはいけないものではないのかという風にです。

伝統的にも科学的にもあまり変わらない世界がグローバルに超科学的に変化せざるを得ない時に、人々の心をなだめるのが民主的手続きという人間が発明した道具なのではないかなと思えて仕方ないのですが、違うのでしょうか。

僕は日本に住んでいますがだからこそ分からないんでしょうか。

起きないといけません。
おはようございます。



2018年12月01日

2018年12月1日

長屋の両サイドが引っ越しました。まさか無条件で出ていったわけではないと思いたいですが、我が家の不動産屋は相変わらずのらりくらりなので出ていくもなにもありません。

物件は一応見ていますがタイミングですので。

めんどくさい話はもうやなのですが、不動産情報は実は休まずメールでこの半年ずっと取り寄せています。

 たぶん次越せば、僕は十一回目くらいの引っ越しです。

ずっと家具と呼べるものはほとんど持ったことがなく、一人のときはバックパッカーに毛が生えた程度でしたが、結婚して荷物が増え、娘が出来て荷物が増え、岡山に来てまた増えました。自分がロケ屋で、ほとんど引っ越し屋と変わらないものでしたし、若かったせいもあって今まで引っ越しの業者を頼んだことがないのですが、今は当然ながら見積りを頼んでいますし、場合によっては頼んでもいいかなとも思います。引っ越しがめんどくさい歳になりました。当たり前ですが。娘のためもあります。

この先どうするか考え、いろいろ思うこともあることはあります。

僕はへなちょこですが娘はたくましくなるかもしれません。たくましくなってもらわないと困りますが。

これから娘とクリスマスツリー出します。

#原発避難 #岡山 #ただでは起きない



2018年11月19日

2018年11月19日

小学校からの悪友が僕とのFacebookの友達を解除して全く音信不通になってから数年経ちました。

僕は友達の少ない方なのですが奴はどういうわけかおりにつけ往き来を長年していました。奴から届いた年賀状も、当たり前のようにたくさんあります。

体でも壊したか、家に問題があったのか、ご両親はお元気か、そういう風に心配しました。

 大人になってからの友達にも、やはり急にFacebookの友達を解除した人がいて、何故だろうと解せませんでしたがもちろん、他に心当たりないわけはありません。

彼らにはあの日以降、いろいろ伝えました。

向こうから聞いてきたこともあります。

すぐにいなくなったいろいろなタイプの知りあいはたくさんいますが彼らは最後までいてくれて、僕を理解しきれないことがあるのもそれは仕方ないことだということさえ彼らには伝えきれていると、僕は彼らをそう思っていました。

しかし違っていたのかもしれません。

僕は理解されていませんでした。

理解されないことに心痛めるなどということを、天の邪鬼の僕はそれまであまり経験したことがなかったのですが、これは少し堪えました。

溝は深いなと。

最近あることに気付きました。
 宗教ではないかと。

僕はまったく洗脳されたつもりはありませんが、そう感じる人が遠くでなく近くでさえいる可能性があるのだなとあらためて確認させられた気持ちになりました。

これが内的理由なのか外的なのかは、歴史が判断する、ということなんでしょうか、

もうさっぱりわかりません。

原発反対。



2018年11月16日

2018年11月16日

職場以外で仕事のことを僕はまったく考えないようにしているのですが、今日はきのうある先生に相談された三ヵ所の修繕のことをあれやこれやと考えています。

とりあえずきのう手はつけて大まかには片付けたのですが、仕上げというか、残りをすっきりさせるためにはどうしたらいいかなとさっきから頭の中に道具とやり方をいろいろ思い浮かべています。

僕は用務員ですが自分が用務員だとはまったく思えずそういう社会人としての自覚も今はほとんどありません。僕はいつでもどこでも自分は避難者だとしか思えなくなってしまっています。だから、職場以外で仕事のことを考えないというのは実はある時には意識的であったりもするのですが、あくまで避難者として今そこにいて、目の前の現実とは違う世界で生きていて、尚且つそのような月日をもう何年も過ごしています。

 先生、三ヶ所あるんすよ、一緒に見てもらえますか?

がに股の、僕には田舎の威勢のいいあんちゃんにしか見えない先生に現場を案内して頂いています。

まずこれっすねぇ。

なるほど、何かでひっかいたかな。

書いてあるでしょ。まずこれです、次はあっちっす。

はい、向こうですね。

目立たない場所の大きな修繕。

削るかなあ、とりあえず。削ってそのあとどうするかですねぇこれたぶん。

これなんすよぉ。

なるほどわかりました。

次が先生三階上がんないといけないんです。

三階ですか。はいはい。

そろそろ三十代半ばなんだろうなと勝手に想像している先生の歩はさすが早い。もしかするとそうは思われていないかもしれない五十を数年過ぎた僕はなんとかすましてついていく。

五十を過ぎた僕が岡山の学校の先生と話を交わすなんて、僕の人生の中では予定も予想もしていなかった。あの日がなければまず間違いなく関わりなど持つはずのなかった先生と今一緒に仕事をしているのが不思議で不思議で仕方ない。

僕が先生くらいの歳の時何してただろうと、トントンかけ上がる先生の背中に必死についていきながら思う。僕は毎日ロケばっかり行って夜が明ける前に出掛け日が変わるまで仕事していて、そんな中やっと刹那的で打算的な生活をそろそろ卒業せねばなるまいなと思い始めた頃だったかもしれないと思い返す。

結婚した頃だな。

先生たちは若くて、みな立派だ。
 今僕は二十代三十代の先生と分かったように話をしているけど、きっと二十代の頃の僕などこの先生たちには相手にもされなかったろうなと昔の自分を慰めてみる。

でも不思議なもんだ。だって今も実は大して変わらないのに、それになぜか気づかれないのだから。

時間とはなんだろうと思う。

毎日宴会みたいな日常を過ごし、明日が仕事なのか休みなのか分からなく、帰る時間がないから車で寝て、三食弁当が当たり前で夜食はねえのかと文句を言い、そんな生活から自立して辛うじて残ったスキルと言えない自分の腐りかけた経験を使ってはじめた自分の仕事でこれでなんとか人並みに世間のお役にでも立とうかと考えていたそのあとに、まさかなにも知らない岡山で得たいの知れない先生とかいう人たちと仕事をするなんて思いもしなかった。

2014年の7月2日の朝、小学校の職員室でたくさんの先生たちに注目されながら三十五年ぶりに小学校に通うことになりましたと自己紹介した日が早くも懐かしい。

あの日以来僕の時間は止まっている。
 四十五才のまま五十二才になってしまっていた。

必要か必要でないか分からない焦りがたまに何処からかやってくる。

どこにいるかわからない。どこへ行くかわからない。

しかしこんな未来への混沌を、僕は親として一方で希望に変えてやらないといけない。

寝ている娘のためです。

君の希望を必死に考えている。

我が子として或いは、同志として。

愛というものが見えてきた。

5:38

だ。

#原発避難 #岡山 #原発反対



2018年11月15日

2018年11月15日


娘と帰ってきたら、引っ越しの件どうなりましたかと不動産から電話がかかってきたと妻が言いました。どうなったもなにもなんにも変わりませんよと言うと、引っ越し代を出したら引っ越して頂けるんですかと言ってきたそうです。引っ越すもなにもそちらの都合で勝手なこと言ってはいわかりましたみたいにできるわけないですと店子の権利を当たり前に言っていたのですが、あちらは相変わらず融通がきかないというかなんだかお話になりません。

大家と店子の関係も岡山はいい加減なのか大雑把なのかとまた僕はイライラし、そしてやる気をあっという間になくしてしまいました。

引っ越す元気なんてありません。

 岡山暮らしの最初は移住支援住宅でしたが家賃は一万円でした。一年後に今の長屋に移りましたがその家賃は三万円です。このエリアでは破格です。妻の考えはあると思いますが、僕は家賃など、一円も払いたくないというのが本音です。好きで来たわけでもない土地でなぜわざわざ家賃など払わなくてはいけないのか、そんな思いがどこかにあります。稼ぎもよくない。そもそも稼ぎたいなんて思わない。地に足をつけ生きている実感がほとんどないのになぜ住まいに悩まなくてはいけないのか全然わからない。

ピンチをチャンスに変えるのは、僕はけっこう得意かもしれなかったのですが、そもそもピンチだということを認める気がないから大してやる気がでない。

好きにしてくれという心境です。

くたびれて、それが消える前にまたくたびれる。

まったく自信がなくなりました。

やる気がまったく起きません。

申し訳ないが、あとは妻に任せて一切知らないことにします。

くたびれました。

原発反対。



2018年11月13日

2018年11月13日


夢を見ました。

たぶんこの前帰った実家のお袋だと思います。皆で夕食の卓を囲み、ホットプレートから出る煙の向こうで一人だけ椅子に座っているお袋だと思います。ニュースなのか弟なのかの声で、腐った食べ物をお袋が食べたのか捨てないで大事にとっておいたのかを僕になのか誰になのかはっきりしませんが伝える声がします。

この前の帰郷ではやたらお袋の禿げ上がった額が気になり、それはなんのためのものか分からないバンダナのせいなのかあるいはほんとに禿げ上がったのか定かではありませんでしたが、ただ部屋の明かりと色のコーディネートに同化するような白髪なのか金髪なのかよく分からない髪の毛と、乾いた顔の皮膚と多少の笑顔も出て救われもした硬めの表情が、僕には少しお袋が遠くに行ってしまったように見えていました。

 確かに、この前別所温泉に行った久しぶりの旅行の写真では、女将を真ん中に親父と並んで映っていたお袋の顔は白く浮腫んではいましたが穏やかそうで旅行を楽しんでいるようではありました。

お袋は僕らの避難、いやお袋には移住だったんだと思いますが、それには泣いて反対しました。

生まれて四十八年目で初めてお袋の罵声も聞きました。

この期に及んでなんで僕はお袋に絶望しないといけないんだと僕も泣きました。

お袋と同居する弟の弱音も初めて聞きました。

タクシーで出掛けたのに、帰りはタクシーがつかまらなかったと言って歩いて帰ってきた。何キロあると思ってんだ。なに考えてんだか、お袋よく分からないよと。

夢から覚め思い出すことが山ほどあります。

僕はあの震災で無くしたものはあるのかと、たまに疑心暗鬼になります。家が壊れたわけでもない、津波で家族が流されたわけでもない、避難せよと言われたわけでもありません。家も家族も土地も無くしたわけではありません。

自分が無くしたと思わなければ無くなっていないものを僕は無くしたんでしょうか。

或いは誰が見ても僕は何かを無くしたんでしょうか。

それがよく分かりません。

権利という知恵は、どこまで犠牲を可視化してくれるのか気になります。僕以外の人が僕の犠牲が見えるのか気になります。

相変わらずまた個性として片付けられてしまうのかどうなのか。

それを確かめてみたい気がしています。

今日はまだ五時半です。



Twitter プロフィール
2014 東京→岡山→ 原発事故という我々の無責任について。 我が家のギリギリ疎開計画 https://t.co/h63Rn0E2fX
ギャラリー
  • 宿題は?
  • 庭。
  • 新居です。
  • 今年は最後に引越しというわりと大きなイベントが
  • 引っ越します。
  • 引っ越します。
  • 今年は生協のピザ、
  • おはようございます。
  • 出来た。
記事検索