2012年02月23日

2012 02 23

 

木曜日。

決起の朝。

きのうの夜は、徹夜で前夜祭だと意気込んだけれど、

結局娘はいつもの通りの時間に寝てしまい、妻は最後の準備に追われ、僕はこういう夜に限って多い予約の管理と問い合わせに時間を割いた。

 

僕の資格証に大型二種を含む免許証と救急搬送乗務員証のコピーが加わり、ダイソーで買った履歴書用紙の間にそれをはさむ。

僕の資格は、国内旅行業務取扱管理者と国内旅程管理。

ヘルパー2級とガイドヘルパー資格。

一般乗用旅客自動車運送事業の認可証も付けちゃおう。

僕はこの資格のほとんどを40過ぎて取ったんだけど、その前は資格をめちゃくちゃバカにしていた。

肩書きだけじゃなんにもなんねえよとね。

でも今はなくてはならない戦いの武器。

戦いの前に武器をそろえ、戦意高揚だ。

 

見る前に跳べという言葉がある。

僕は若いころからずっとこれを目指してやってきた。

はたからみればめちゃくちゃだったかもしれないが、僕の中では一本ちゃんと筋が通っていた。

結婚と子供はその着地点、この前までそう思っていた。

 

しかしどうもそうではないらしいな。

 

僕はまた立ちあがることにした。

ここじゃなかった、ゴールは。

 

妻はきのうの夜、吐き出した。

僕が受けてやる番だった。

泣くのはやめだ。

戦場から妻と娘を撤退させ戦いに挑む時、泣いていたら始まらない。

 

そう思うと、寂しさも薄らぐ。

これは僕にとって朗報だった。

朗報はほかにもあって、土壇場で僕はいつも誰かに助けられる。

感謝。それしかない。

武器が増えていく。心の武器が。

僕は気持ちを込めて武器をぐっと抱きしめる。

 

僕らは戦いを決意しました。

それは誰のためでもない、

娘と、娘の未来の子どものために。

 

午前中羽田に送りに行きます。

決起の朝は、雨になりました。

 

次回に続く



2012 02 23

 

夜。

僕は意外に楽な夜を迎えている。

静かなのがうるさいけれど、ちょっと落ち着いている。

やっぱり“気にしなければいけない”環境から二人が出たことが、僕を大きく楽にしてくれているかもしれない。

床を転がっても風に髪をなびかせても、常にそこには“被曝”を意識しないではいられなかった。

考えすぎだといわれて、ハイそうですかとは、なかなかいかない。

今この国の汚染状況は自己判断に委ねられている。

油断もへったくれもない。

娘以上に妻が解放されたことに、僕はほっとしている。

疲れていたはずだ。

我が家は1年近く、食事に細心の注意をはらってきた。

除染もした。一生懸命ベランダも玄関も掃除をした。

部屋の壁も拭けているのかいないのかわからないが、とにかく拭いた。

服を脱ぐ場所は玄関になり、僕らと娘が飲む麦茶は別々に分けられた。

 

妻はそれから解放された。

ほんとよかったと思う。

お疲れさまと言ってあげたい。

ゆっくりしてねと。

食材への注意は今後どこへ行っても残るけど。

 

妻は写真を送ってくれている。

送ってくるたびにそれを携帯の待ち受けにすることにした。

今の娘が見てられる。

僕は今朝最後に、取っておいてもらったキャリーケースのスペースに僕が毎日、朝昼晩と使っているマグカップを入れてもらった。

自分の代わりに行ってもらうことにした。

娘が僕を忘れないように。

 

羽田に向かう車の中で、

僕らはいろんな話をした。

思い出話のようになった。

妻の決意を感じた。

僕も遠い先に白状しようと思っていたこと、娘が生まれる前から、娘あてのノートを書いていることを明かした。

そしてそれが去年の3月10日で終わっていることも。

最後の日記に将来の展望を書いたことは言わなかったけど。

 

座イスに寄りかかると、

やらなければならないたくさんのことが

散らかり放題に散乱している。

どこから手をつけるか、考えるだけでぞっとする。

今日はとりあえず、勘弁してくれ。

 

それにしても。

それにしても長崎は近い。

今日昼前に送って、そのまま夕方までちょろちょろっと仕事を片付け家に戻ったころに娘は長崎でもう遊んでいた。

恐るべし、飛行機。

ますます信用できなくなった。

 

いろんな思いが交錯している。

これからこなさなければならないたくさんの“準備”と同じように。

 

妻が僕に書き置きしてくれた食材メモは、また僕を泣かせた。

何かの参考にもなるかもしれないと思いますので、あとでここで紹介します。

とりあえず、焼酎をもう一杯。

 

次回にたぶんすぐ続く。



2012年02月22日

2012 02 22

 

業務連絡。

今日の夜、予約が入った。受けました。

最後の晩餐はおあずけだ。

 

次回に続く。



2012 02 22

 

水曜日。

少し落ち着いてきた。きのう仕事に追われたからかな。

しかし泣いてしまった。電話のせいだ。

泣いた日連続記録、更新中。

 

僕がなんで第三京浜の、玉川インターの間近に住んだかというと、神奈川が近いから。

相模原の実家が近くになるから。

すいてりゃ1時間切る。

 

僕の両親はきっと、僕が35で結婚した時にやっと孫が見られるかもしれないと思ったと思う。

けれどそれからも長かった。

一回はぬかよろこびに終わった。

 

僕は子供はどっちでもよかった。

行く末を案じていたから。

けれど、親父は違った。

“あとは孫を見るだけだ。”

この言葉がどうしても離れなかった。

 

自然に任せていたら、40をいくつか過ぎた。

“店じまいだな”

そう思ったら客が来た。

自分の命より大事なお客。

 

僕らは相模原にあしげく通った。

月一くらい。もっとかな。

親父もお袋も性格が変わった。

僕の親ではなくなり、僕の娘のおじいちゃんとおばあちゃんになった。

親父があんなに金を持っているとは思わなかった。

 

僕はこれからも親父とお袋に

孫を見せたい。

方法を考えなければいけなくなった。

 

段ボール3っつにまとまった妻の荷物は今日クロネコに持っていく。

当面のあいだの僕の“OKフード”の準備も妻はしてくれて、どこに何があるか教えてくれた。

でも僕は多分すぐ忘れる。

 

今日は最終確認しないといけない。

打ち合わせ済みでない要件はないか。

僕は一人の間、“片づけ”が日課になるような気がしている。

どっちに転んでもいいような片づけ。

飛ぶ鳥の準備。

帰るかもしれない巣の掃除。

両建てだ。

 

今日も記録が更新される。

そんな気はする。

 

次回に続く。



2012年02月21日

2012 02 21

 

火曜日。

肝を据えなければいけない。

離ればなれになるんじゃなく、戦場から娘と妻を逃がすんだ。それなら落ち着ける。

見えない爆弾はこれだからやっかいだ。

僕は戦闘状態に入るべき、一平卒。

それを何度も自分にいい聞かせなければいけないのもやっかいだけど。

バランス保つのは難しい。

 

郵便局の口座のカードは妻、通帳は僕が持つことになった。

現地のお風呂が小さいことも写真で確認した。

娘の追っかけの男の子がまた来ていることもわかった。

枕元には妻が荷造りした段ボール。

今日夕方、僕の仕事終わりで発送予定。

妻と今後について、考えを確認しあった。

彼女は自分と僕の資格一覧を携えた。

奔走してくれると、期待している。

仮の宿に娘を留まらせるのは忍びない。

だけどたくさんの友達との共同生活も

いい経験になる、ホームシックの心配はむしろ私の方かもと妻は言った。

いつでも帰れるんだよと言っておいた。

毒が充満しているが、対処法もある。

別の毒に害されても困る。

ことは臨機応変に。頭は柔軟に。

 

今日は仕事が忙しい。

泣く暇はたぶんない。

明日は“前夜祭”だ。

 

次回に続く。



2012年02月20日

2012 02 20

 

月曜日。

頭の整理。

僕がやらなきゃいけないこと。

1、売上対策とバイト探し。少しずつはじめている。夜のバイト探したい。今週から夜がさみしくなるから。

2、確定申告。いつもの通りならもう終わっているはず。ほとんど手つかず。

3、ビートルの処分。土曜日ショップに行って3月中に処分したい旨こちらの意思を伝えた。

 

形も大きさも色も違うたくさんのものが頭の中でこんがらがり、どうしていいかわからない。

もたもたしていると、娘と間違いなく、3週間会えなくなる。

拷問だ。しかしそれは逆に彼女に対する虐待になる。

娘に安全なところに行ってもらう。

そう考えないといけない。

そう考えると、気持ちの整理ができる。

うつむいていると地面に見えるものがある。

それに手をつける。そんな感じ。

 

とりあえず3週間、僕はもろもろの整理。

仕事車の車検もある。

やることが満載。終わったら整理。

そんなとこか。

 

妻には向こうで仕事や住まいのことを調べてもらう。

完全移住の検討です。

残念ながら一番の問題は仕事。

僕はおかしいのかもしれないが、

仕事に縛られる人生なんて

ほんとはしたくない。

だから仕事を理由にしたくないんだけど。

今は仕方ない。

 

僕は3月半ばに長崎行の長距離バスに乗れるチケットを持っている。

とりあえずそれまでは、これで行こう。

ひたすら金の心配してればいい。

 

週末実家に行ってきた。

よく行く実家。

今回は金の無心に行くつもりだったが、やめた。

事情は説明したが、たいして理解してくれない。

好きなようにやんなさいと言ってはくれたが。

鹿児島のじいちゃんが亡くなったとき以来、20年近くぶりに、僕はおふくろに涙を見せた。

 

8年前、妻が流産したときには僕はおふくろへの電話で泣いたけど、あれは電話だったからな。

親父はとんちんかんなようでも心配している。

僕にはわかる。息子だから。

いざとなったら言えばいいと言われたが、

今がいざなんだとは言えなかった。

 

遠くを見れない。

遠くを見てもわからないし、策を練れないのが恐ろしい。

行きあたりばったり。

これが今の僕の最善の策。

そうしか判断できない。

思考の限界。

もともとそれほど容量ないが。

 

書いて頭を整理しようと思ったけど、

うまくいかない。

中途半端です。スイマセン。

今日は娘とデートかな。

 

 次回に続く。



2012年02月17日

2012 02 17

 

娘は2歳の誕生日の前の日に長崎へ行く。

スカイマークはこの2月から、2歳の幼児の航空運賃も取るようになった。

何でこの時期にと、思わず僕は唸ってしまった。

なので2歳になる前日の搭乗。帰りは二人分になる。

妻は乗る気がないようだけれど。

僕も本当は飛行機にはあまり乗せたくない。

被曝のこともあるし、そもそも僕が飛行機がなぜ飛ぶのか、理屈を聞いてもいまだに解せないでいるから。

 

安全だ安全だはもういい。

誕生日もひな祭りも、今年は向こうということになる。

それがどうした。それだけのことだよ、なぁ君よ。

行く前の日の夜は淡々と過ごした方がいいかなと、一方では感じている。

もうやめ。そんな日のことは考えたくもない。

 

次回に続く。



2012年02月16日

2012年 02月 16日

娘と妻の3回目の疎開が来週に迫ってきた。

行先は前回と同じ長崎だ。

疎開の紹介サイトで見つけたここは妻も気に入り仲間もでき、そういう知った場所なのでその点の不安は今回はない。

少しでも東京から離したい、特にこの時期は花粉の飛散する時期。

万が一にも備えるつもりで行かせることにした。

今はとにかく情報が足りない。

国の言うことは怪しいし、ネットの情報は氾濫するが、右から左まで幅広い。

結局自分の判断ということになる。

 

駅のホームに電車が入ってきた。

大人は構わずそこに立っているかもしれないが、危ないよと言われた子供を抱えたお母さんは、きっと後ずさりすだろう。

子供を守るということはこういうことで、今起こっている放射能に対して心配をするお父さんお母さんの気持ちはまさにこれと同じだと思う。

これを理解してくれない聡明な人達が多いのにはほんとにびっくりする。

 

最初は僕の母親の実家含め宮崎、鹿児島に10日間。

年末の2回目は長崎に2週間。

そして今回は4月までの間で期間は未定。

帰りの算段は、今のところ取っていない。

帰らないつもりでもなく、一応期間に幅をきかせるつもりで。

今、先のことが分からない。

僕自身もどうするか、決めていない。

というよりどうなるかわからない。

唯一決まっているのは来月半ば、

長崎にいる妻と娘に、長距離バスに乗って僕が向こうに会いに行くことと、来週さ来週、その次の週くらいはたぶんこのまま仕事をするだろうということ。

そのくらいだ。

そもそも仕事でお客さんからの予約を受けている。

考えたくても考えられない。

こんなことは初めてだ。

怖くて仕方ない。

 

僕はジレンマにさいなまれている。

不安な東京から離れさせたいのに、離れることがつらくて仕方ない。

他のお父さんはほんとに偉いと思う。

ぼくはもう今から必死に耐え忍んでいる。

寂しくて死ぬかもしれない。

どうやって紛らわそうか一生懸命考えている。

バイトでもするか。

 

何度も疎開させて、誤解される前に書いておくけど、余裕など全くない。

たぶん他の家庭より、はるかにうちは貧乏だ。

たぶん。

 

去年3月地震でお客さんが減った。

外出する人が少なくなった。

旅行も手控えるようになってしまった。

これで計算が狂った。

一方で出費は増えて行く。

食べ物に気を遣わなくてはならない。

成城石井は高い。

でも仕方ない。そこでしか売っていないんだから。

地震前一生懸命書いた保育園申し込みもいらなくなった。

ただでさえ待機児童扱いだったのに

汚染されたおやつを食べさせられ、病院の放射線すつより高い線量の高い公園で遊ばされるなんて、こっちからごめんだ。

だから預けない。

そして妻は働けなくなった。

 

嘆いても仕方ないが、歴史上、貴重な経験をしている僕たちが恥を忍んで書き置くのももしかしたら何か価値があるかもと、皆さんの前で素っ裸になることにした。

見るに絶えないかもしれないが、ご容赦いただきたい。

何回続けられるかわからないが、その1とさせていただいた。

 

文章に脈絡がないが許してほしい。

次回に、一応続くつもり。



2012年01月31日

           
 
ビートル手放すつもりでおります。

14年近く乗りました。といっても最近は年に数回程度しか動かしていませんでしたが。

ずっと持ってるつもりでした。
 娘とドライブとかキャンプとか行くつもりでした。いつか綺麗に直すつもりでした。オクラサとか積んじゃうつもりでした。

けれど仕方ない。そんなこと言ってる場合じゃなくなった。残念ですが変わりました。僕じゃない、世の中が。

もう僕の趣味嗜好なんかどうでもいい。

46年も好きにやって来た。もう十分です。

僕がこれからやらなければいけないのはただひとつ。娘を守ること。

もしかしたらそのために、地球の果てまで行かなくちゃいけないかもしれない。

だからそのために、余計な荷物は置いていく。


これからはそういう時代になると思う。

僕の予想は自分で言うのもおかしいけれど、

結構当たる。

娘の名前も当たった。

かなり残念な方に。


娘には十分楽しんでもらう。僕はもういい。

娘にはあと80年以上、楽しんでもらわなきゃいけない。

だから僕は、きれいな水と空気と土を探しに行く。

それが僕の残りの仕事。

娘の成長を見届ける。

これが僕の最後の趣味。


2012年01月24日

 
こういう日に限って、朝早かったりする。

仕事って大変だ。

トイレの窓から外を恐る恐る覗いたら

白く積もった雪の間に割りとはっきりした轍があったので、

あとはうまく駐車場を出、坂道を無事に上れるかの問題になってきた。


きのう、娘と妻の3度目の疎開がほぼ決まった。

2月末から、

今度は2ヶ月間、4月末までの予定だ。

当然僕は、耐えられるはずがない。

せめて、2回くらいは僕から向こうに出向きたいと思っている。

そうやってごまかさないと、

たぶん体が持たない。

おっさん、なにを言ってんのと、言われるだろうね。

そういう奴がいたら、

僕はたぶん、鼻で笑う。


余裕なんてない。

“ギリギリの線”を

そろそろ越えようとしている。

でも仕方ない。

この国で生きるということが

サバイバルゲームと化したんだから。


あれからもうすぐ一年。

空気は気になる、風が吹けば怖いし、

蛇口をひねって出たこの水は、

果たして飲めるのか。

飲ませていいのか。

食べ物の産地が気にならない日はなく、

目に見えない埃を見えると思って

掃き捨てる。


あらゆる国の機関がてめぇらのことはどうでもいいんだといい、

国会議員と役人たちは、

毎日コツコツ自分名義の預貯金をためていく。

テレビは相変わらずゲロを吐き続け、

秋元康のシャツのボタンは

今にも内臓脂肪に押されて

はち切れ寸前だ。

東北はまた揺れ、

パンドラの箱がまた傾く。

そこに子供がいる。

子供がいるんだよ。

そこに。


僕は必死に子供たちのことを考えなくちゃならない。

そりゃそうだ。

僕は大人だから。

そして僕の娘と妻のことも

必死に考える。


ここでまた僕は葛藤する。


僕はまた一歩、仕事にけりをつける考えが進んだ。

もう気は済んだ。

3ヵ月後、

疎開した妻と娘を僕が羽田に迎えに行くのか、

妻と娘が向こうで僕を迎え入れてくれるのか、

当の僕にも今はわからない。


傷めつけられている子供たちを

黙って見ているわけには当然行かない。


また僕は親不孝をしようとしている。


生きるということの意味。

さぁ、雪かきやるか。

推敲してる場合じゃない。


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2014 東京→岡山→ 原発事故という我々の無責任について。 我が家のギリギリ疎開計画 https://t.co/h63Rn0E2fX
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