2019年07月06日

7月6日

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もう三年前になりますが、ある活動で一切の交流を絶ちたくなるほどの気持ちの落ち込みを経験しました。それ以来、それまで娘を連れ行ける交流会、出来る活動、毎週末予定が切れることなく続けていたものをどれもこれもやめ、外に向かわなければいけないという今は錯覚に感じるその僕の善意と数年闘っておりました。今はその時に戻るつもりは失せて、沈んで戻らないまま、波風感じる必要のない海底を盲目的にひたすら平らな砂地をなぞっていればいいという風な、諦めなのか薬が効いているのか判別不能ではあるけれど、居心地は周りのことを考えなければ決して悪くはないといった状態です。しかし多少息苦しいのは事実です。

娘は大分泣きましたが十時くらいには寝ました。震災から今までの話を初めてして、お母さんもお父さんも苦しんでいるが頑張ってると話をしました。そしてあなたもねと。

選挙のことなどもうしないだろうと思っていました。けれど体が勝手に動いた。おとといまで動く気にもならなかったのがきのういきなり動きました。それはこの八年半の間、生きることがそのまま闘うことになった日常の中にいつも必ずどこかに山本太郎の姿があったからだと思います。これは祭りではない、これは日常なんだと、思い出しました。

原発四基吹っ飛ばした国の大人たちに、それ以上の恥などありません。僕は僕が当事者であることを伝えるのみです。

店の名前を告げたラインが妻から来ました。
そろそろ帰って来ると思います。

原発反対は選挙の争点ではなく人生の争点。
聞くだけ野暮。

#原発流民



2019年06月22日

06月22日 8:32


朝一緒に学校行く機会なんてそんなにないんだから、こういう時くらい一緒に行けばいいじゃないかと思うんだけど、一緒に登校する親はほとんどいない。途中見覚えのあるおばあちゃんが乳母車を押して横断歩道を渡るのが見えたら案の定娘もすぐに気がついて、いつもより少し軽めのランドセルを背中で振って走り寄っていく。おはようございまーすと今日も照れない娘に感心する。乳母車には思った通りよたよた歩くあのじいさん犬がいて、眠いのか老いたが故でなのか目を半開きに閉じていた。おはようございます、今日は学校?と声をかけてくださったご婦人が、僕と娘を半分ずつ見ながらお父さん?とこの前と同じことをまた聞いてきた。さては、やんわりとお父さんかおじいさんか確認してるなとまた僕は勘繰って、すかさずそうですと照れておいた。学校に着くと子どもばっかりで入口もまだ開いてない。僕は娘と別れわざわざ学校の外をまわって反対の門からゆっくり入ってはみたけれど、それでも僕はほぼ保護者一番乗りになってしまった。



2019年06月13日

毎月第三日曜日の午後はきまってこのスイミングスクールにやってくるようになった。この日は会員の子どもなら保護者同伴で無料で入れるので、月四回のレッスンとは別にこのフリーの時間を有効に使って練習すれば少しは違うかもしれないと思って通うことにしたけれど、当の娘は練習できるということよりもプールで遊べる日が増えるというのがやはり嬉しいらしい。娘はもちろん僕もそんなに進級には熱心ではないんだけれど、ただあんまり進級できないとそのうち娘が飽きてしまうのが心配で、それに娘も進級したらしたで喜ぶし、逆になかなか進級できないと落ち込んだりもするので、あまりそういうことがないようにせめて少しずつでも進級すればいいとは思うんだけど、なかなか都合よくはいかない。
  今日も結局ほとんど遊びっぱなしで一時間半が過ぎた。プールサイドに置いた荷物を持って一緒にサウナに行き、少し水気をとばしてから上の階の更衣室に行って着替える。僕は左、娘は右の更衣室。ひとり着替えは大丈夫かなと思いつつ、たぶん大丈夫だろうとあまり心配もせず始めた時からいきなり一人で着替えさせているんだけど、最初からわりと普通に出来たので、あまり心配せずひとりでやらせるのも時にはいいのかもしれないと、普段の自分の過保護を少し反省してみたりする。
  とはいえ娘の着替えは僕と比べても他の子どもたちと比べでもだいぶ遅い。多少早くはなったかもしれないけど、レッスンが終わって早く着替えた子どもたちが更衣室からまず出てきて、それからどおっと集団が出てくるんだけどそこにいることはまずなくて、彼らが出て行って階段をどたどた降りていくの見送ったあとに、さあ今日はどのくらいで出てくるかなと様子を見ても十分それで間に合う。
  少し静かになった三階のフロアの階段は踊り場までガラス張りで外がよく見える。片側二車線の通りは長距離バスもたくさん通って岡山駅が近いことを忘れさせない。商業高校の野球グランドの手前には全く関心がなくなった大きなオレンジ色の古野屋の看板が見えている。なにもなければさんざん食べに行っていたかもしれないし、もしかしたら娘と一緒にプールの後寄っていたかもしれない。ただもしそうなら、行っていたのはこの店ではなくたぶん五年前まで住んでいた二子玉川辺りの店かなと、最寄りの古野屋を思い出そうとしたらそれがなかなか思い出せなくて、慌てて僕はスマホで調べたりしてみた。

#東京避難



2019年06月09日

6月9日 22:28 ·

...

これから僕は趣味をもてるかなと思います。全部棄てて、趣味などもういい、してる場合じゃないと震災以降思っていましたが、そういうことではないのかもしれないと少し思うようにはなったのですが、はて趣味をするような金銭的な余裕が持てるんだろうかと、全部棄てたという自分の言葉には可能性さえ含まれていることに気が付いて少しの間暗澹たる時間を過ごしました。これから汚染の世界を生きる子どもたちのことを考えると実に下らないことに僕は思いを巡らせており、幼く大人たちの社会の犠牲になった子達を思えば直ぐにでも、直ぐにでも無駄な命などくれてあげたい気にもなりますがたちまち、たちまち命乞いをする自分に生き物の生臭さのようないさぎの悪さを嗅がないわけにはいきません。僕の知らないところを持ち始めた娘を前に、僕はお父さんをやめるわけにはいきませんしもう暫くは娘と同じ時間を生きてみたいですが、しかし拠り所がどこにもないというのは玉にきずです。
 疲れているのかそうでないのかもよく分かりません。
#原発流民



2019年06月03日

2019年06月03日2

チェルノブイリ法と子ども被災者支援法の一番の違いはそれを扱う人々の人権についての捉え方で、両者になぜ違いが生まれるのかなんていう文化人類学的なことは到底僕にはわかりませんが、この法律の運用は大げさに言えば文明に対する挑戦で、我々はこれからも常にとどまることのない前進を求めていくのかあるいは生き物としての本質に立ち返ってみるのかという風に、この二つが共存しうるのかという可能性の模索も含みつつこの壮大なテーマに立ちむかっていくしかないのかなと思ったりしました。おはようございます。




2019年06月03日

四十になる前に、この仕事は四十面下げてやる仕事じゃねぇなとそろそろ二十年になりそうな浮世離れなテレビの現場の世界からついに離れようかと考えて考えまして、その末行き着いたのが自営の介護タクシーで初めていっちょ前になるためかもしれないスタートラインについたかなと、確定申告がなんだか分からないまんま最後には複式の青色申告まで助け借りつつ行くだけは行って、持たない筈の家庭を持ち会わない筈の我が子に会い、一見なさそうな人生のビジョンをそれなりにつくってそれまで実は来ていたんだけど、例のあれで絶妙なバランスで立っていた僕のプランは見えず匂わず直ちに影響をもろに受けながらだらだらと崩れていきました。
戻るのも進むのも怖くてしぼんでゆく身をただ感じながら、いままで全部自分で決めてきた僕が人の言うことだけを聞いてたどり着いたのが今です。
真っ白でなにもなくなった僕の時間の中を走り回わってそこに足跡をくっきり残しながらはしゃぎ喜ぶ娘の姿はまるで雪遊び。
僕は歩かなければいけないけれどどこに足をかけどうやって踏ん張りどこを目指して進んだらいいのかさっぱり分からないまんまでしかし僕は考えなければならないし、或いは進んでいるかいないか分からなくても進まないといけないのかもしれない、それはどうしてかというと僕が歩くからこそ娘は走れるのだから。

#原発流民



2019年06月02日

僕はお父さんのプライドにかけて娘より深く潜らないといけないと思って、そして目もしっかりと見開らいてそれをちゃんと娘が伺っているかどうかを確かめながら、不格好にあぐらをかくように水中で待ち構えた。


 ゴーグルを着ければ娘はもう恐いものなしで、水面のすぐ下で体をくねらさせながらバシャバシャ水しぶきをあげなんとか顔だけは潜らせて、魚眼レンズのように玉虫色に不気味に光る眼差しをこちらに向けて威嚇するようにさえ見える挑戦的な娘のその姿は、僕には必死に僕の居所を追っかけるだけのようにも見えるのだけど、ただそれは娘の生き様みたいにも見えて、そんなのは今まであまり見たことがないような気がする。


 挑戦的ではあるけれど、まだ娘は潜っても長くは続かない。すぐに顔を水面の上に出し、はしゃぐその様子を僕は水中で察しながら、再び父のプライドで今度はゆっくりと顔を出す。しかし本当は僕も必死だ。娘が知らない昔のように長く息は続かない。四十三年の年齢差がいつも歯痒い。水中から顔を出しプールの天井を仰いだところで僕があらゆる苦しみから解放されることなどないとは思うけど、それでも僕は痩せ我慢でもなんでもして全然大丈夫みたいな顔で水を両手で拭い、絶対それを悟られないように一芝居打たないわけにはいかないのだ。


#東京避難


こぼれ落ちる言葉を拾うのに大変だ。できればすべて拾って帰りたいがそうもいかない。どこに落ちたかで言葉は違うしどこにしまうかでも言葉は変わってくる。落とす場所をあらかじめ決めてから言葉を落とすのはあまりにも言葉が新鮮でなくなる。フェイスブックは冷蔵庫、ブログは毎日の食事、そして物語とうたはたまにつくるケーキだろうか。では出た生ごみはどうするか。その前に、それはごみなのかを精査しないといけない。すべての言葉が愛おしい。



kaigo_taxi at 11:46コメント(0)
2019年 
209年06月02日

なんでここにいるのか危うく忘れてしいそうにされる風景にいちいち理由をつけていたらからだがもたないので考えないけれど確実にあの時は逃げるしかなかった筈だった。僕が権利を勝ち取る前に誰かが個人の曖昧に責任をおしつけようとする。そりゃ君はそれで楽かもしれないが、実は僕はすでに君ほど人生がつまらなくはないのだ。#原発流民

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2019年05月27日

金曜日の職場の体育会から始まって、きのうの娘の運動会とそのあとの移住者地元の人相まってのお疲れ様の会と、忙しく楽しい数日間が終わりました。
 今僕は複雑な心境にいます。もし東京にいたままだったら、果たしてこんなに気持ちを吐き出せて、わりと言いたいことも時には言える場があったろうか、そしてあんなに人との繋がりを意識して仕事をしていただろうかという風にです。
 僕はここに馴染めず、そしてはなから馴染むとか仕事頑張ろうだとかそういう毎日の機微はどうでもいいというようにして、ひたすら絶望と後悔と惜別と時間に対する憎しみと無力感をただ味わいながら生きていくことを全然やぶさかでないと心に決めてあるのに、相変わらず受け入れがたい慣習にはくたびれながらも僕は知り合いの議員さんに偶然町で会って言葉を交わしてみたり、かかりつけのお医者さんのところへ行けば診察より車の話が長くなりそうになってみたり、また新しい人との繋がりが出来てみたり意外な人と人の繋がりを発見したりしています。

僕は疲れているはずではあるんです。
そして神奈川では毎日でも孫に会いたいお袋が弱りかけています。

心強さと無念が同居します。なかなかうまくいかないもんです。忘れていけないことがたくさんあります。恐らくじきに僕はまた内側に帰っていきます。確実な拠り所が今はまだそこだけだからです。

結論を出すのには疲れました。
 選択肢を増やして娘の未来を地球の数倍の大きさにするのが僕の唯一の使命です。

出涸らしみたいな僕は生き物の一個体として自己完結というマスターベーションを人に迷惑ならないようにしていればそれでよく、いつか風景に抹殺されることを切望するのみなのですが、そうは言ってもなんでこれほどまでに娘の生きる世界を憂いていなければならないんだろうとは思います。




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2014 東京→岡山→ 原発事故という我々の無責任について。 我が家のギリギリ疎開計画 https://t.co/h63Rn0E2fX
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